ぷー

愛すべきおばかな住人/『クマのプーさん』

家庭によってジブリ派かディズニー派か、とある程度分かれていると思うのだけど、わたしの家族はジブリ派だったと記憶している。

『となりのトトロ』はテープが擦り切れるくらい観たし、映画もテレビで放送されるたびに律儀に家族集合したし、ジブリ美術館にも通った。

それでも何かひとつのキャラクターにハマることはなくて、わたしがなぜか唯一ハマったのはディズニー作品の『くまのプーさん』に出てくる『ティガー』だった。

プーさんではなく、ティガーを選んだきっかけは全然覚えていないのだけど、たぶん足の速い男の子をすきになるくらいの感覚だったんだと思う。

少ないお小遣いを使ってはティガーのグッズを集めて、お人形を揃えて、あんなに観ていたトトロをやめ『プーさん』を延々と観た。

おかげで今でもオープニング?の歌は歌えるし、ティガーのテーマソングも歌える。

ティガーが大本命だったとはいえ、食いしんぼうでおっちょこちょいのプーも、気弱なピグレットも、心配性なラビットも、悲壮感あふれるイーヨーも、優しいカンガも、元気なルーも、口うるさいオウルもみんなかわいい。

そして何よりクリストファー・ロビンがすごく良い。人間界ではまだまだ小さい子ね、と言われてしまう年齢なのに、プーたちがあまりにも無邪気なのでみんなのリーダー役をし、問題を解決してくれるのだ。

特にプーに対する「おばかなプー」の言葉には最高の愛情が感じられて、聞くたびにいいなあと思ったものだった。

原作の『クマのプーさん プー横丁にたった家』でもそれは全く変わらず、むしろアニメよりも登場シーンが多いのでプーのことがだいすきな様子が伝わってきてかわいい。

この物語は父親がクリストファー・ロビンに向けて話しているというスタイルのお話だから、短いお話の合間合間にクリストファー・ロビンが登場するのである。

物語のなかでのクリストファー・ロビンはリーダーっぽいけど、お父さんのお話を聞いているときの彼はやっぱりまだまだ子どもだ。

プーのぬいぐるみを抱えられないから、いつも手を持ってそのまま階段を行き来する。すると、プーはあたまを階段にぶつけながら降りてくることになるのだ。登るときも同じように。

そんなかわいいクリストファー・ロビンだけど、いつか大きくなってしまうもの。思いたくないけど、でもどうしようもないものだときちんと書かれているのがこの物語の最終章。

『クリストファー・ロビンとプーが、魔法の丘に出かけ、今でも、ふたりはそこにおります』

クリストファー・ロビンとプーは最後にふたりきりでお話するとき、「世界じゅうで何をしているときがすき?」と尋ねられたプーが一生懸命考えて答えるシーンがぐっとくる。

「ぼくが、世界中でいちばんすきなのはね、ぼくとコブタで、あなたに会いにいくんです。そうすると、あなたが『なにか少しどう?』っていって、ぼくが『ぼく、少したべてもかまわない。コブタ、きみは?』っていって、外は歌が歌いたくなるようなお天気で、鳥がないてるってのが、ぼく、いちばんすきです。」
「ぼくもそういうのがすきだ。」とクリストファー・ロビンはいいました。「だけど、ぼくがいちばんしてたいのは、なにもしないでいることさ。」
「ぼくが出かけようと思ってると、だれかが『クリストファー・ロビン、なにしにいくの?』ってきくだろ? そうしたら『べつになんにも。』っていって、そして、ひとりでいって、するだろ そういうことさ。」
「ああ、そうか。」

少し大きくなってしまったクリストファー・ロビンはこれから学校に通うのだろう。学校に通い終わったらきっと働くことになるのだろう。そうすると「なにもしないでいられる」ときはもう来ないかもしれない。

そんなことがじわじわと伝わってきて読みながらもしんみりとしてしまう。

「プー。」と、クリストファー・ロビンは、いっしょけんめい、いいました。「もしぼくが──あの、もしぼくがちっとも──」ここでことばが切れて、クリストファー・ロビンは、またいいなおしました。「たとえ、どんなことがあっても、プー、きみはわかってくれるね?」
「わかるって、なにを?」
「ああ、なんでもないことなんだ。」

せつない。

小さいまま、楽しいままで終わらせることなんて簡単なのに、そうしないところがすごくすごくすきだなと思う。

「なにもしないでいる」こと、確かにすごく大切だよなあ。わたしにはそんなふうに思える場所があるのだろうか。そんなことを考えてしまう読後。

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