横浜市の里山で古希を祝う
義父母がめでたく古希(70歳)を迎えた。
2人とも誕生日が同じ11月で4日しか違わない。
義父は鹿児島生まれで、福岡で青春時代を過ごした。義母は生粋の横浜生まれで、東海道五十三次の一つでもある神奈川宿のそばで育った。
2人は同じ職場で出会う。義父母いわく、職場仲間では最後まで独身者同士だったそうで、仕事仲間からも「二人、結婚しちゃえばいいじゃん!」というノリだったらしい。
義父は「我々は残り者だったから”福”があったんだ」と冗談交じりで嬉しそうに口にするが、「よく言うわよ、割れ鍋に綴じ蓋でしょ」といって義母が笑う。
僕が義父母と出会ったのは4年前だ。
義父母は、お互いに遠慮なしである。言いたいことはズバズバとはっきり言う。また2人ともよく喋る。そのせいか、よく言い争いになっている。妻はそんな2人の姿を見慣れているが、僕は当初ヒヤヒヤすることもあった。
たいてい数分後には何もなかったかのようにお喋りしているので、僕もあまり気にすることがなくなってきた。
僕は、義父の口から発せられる数多くのギャグに笑っている義母を目にしたり(不発で終わっていることもある)、2人で日帰りの温泉旅行によく出かけたりしていることも知っている。つい先日は、2人で三浦半島の三崎まで日帰り旅行に行っていた。
何だかんだ、2人は仲が良いのだと思う。
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先週、そんな義父母をお祝いするため地元から近い懐石料理屋へ行った。
横浜市青葉区北部に「寺家ひらさわ」という隠れ家のようなお店がある。店はまだ開店してから5年ほどだ。
店は小高い山の中腹にあって階段を上る必要があるが、ちょうど紅葉が色めき、その道のりも楽しむことができる。
「寺家(じけ)」という名前は、寺家町というこの地の名からきている。
川崎市や町田市と隣接し、この辺は「寺家ふるさと村」とも呼ばれる。
店周辺は田んぼと森に囲まれ、どこか懐かしい里山の風景が広がっている。同じ横浜市でも沿岸部とは全然違う雰囲気で、散歩するだけでも気持ちがいい場所だ。
僕と妻の両親もみんなで食事をしたり、滋賀県に住む妻の兄夫婦が東京へ来た時にも来たことがある。今回で4回目だ。
蕪の天ぷら、かます、さつまいも、柚子味噌の落花生豆腐
鰆の幽玄焼き
義母が鰆を自分のお箸で取り皿に移そうとすると、妻が「お母さん、私が菜箸で分けるからいいよ」と言った。義父は透かさずギャクを入れる。
「あなたは、鰆にさわらないで!」
相変わらず、義父の瞬発力は凄い。
直接コース料理のなかで、毎回登場するのが小さな土鍋で焚き上げたご飯。この時は、店主自らが各テーブルに必ず給仕しに来てくれる。
毎回、その場で旬の食材をホクホクの土鍋の中に入れて混ぜてくれる。料理を頃合いをみて直火で炊き始めるのだそうだ。義母は表情を緩めながら、店主に尋ねる。
「今日は何のご飯かしら? 確か、前回来た時はかぼちゃご飯だった」
「かぼちゃご飯の時もございましたね。本日はこちら、牛蒡と山椒風味の鶏そぼろです」
物腰柔らかな店主がそう言うと、義母や妻が「おぉー!牛蒡!」と歓喜の声を上げる。この店に来た時の楽しみの一つだ。
料理を楽しみながら、主役である義父母のツーショットを撮った。
妻が「ほら、もっと寄って寄って!」と言うと、少し照れくさそうにお互いの肩を寄せる。
人生の半分以上の時間を共に過ごしてきた2人は、とてもいい笑顔だった。
僕も調べて知ったのだが、古希の次は喜寿(77歳)だ。
これからも元気で仲の良い義父母でいてもらいたい。
*
食事の後、寺家ふるさと村を少し散策した。
田んぼで農作業をする人たち、散歩をする地元の人たちを多く見かけた。
寺家ふるさと村は、大人だけでなく子供たちの手によって育てられ、守られている。
月に一度、子供たちによる田植えなどの体験も行われているようだ。5月下旬から6月頃にはホタル観賞もできるという。
ホタルといえば、僕も住んでいた家の近くで鑑賞スポットがあった。やがて住宅開発のために自然は切り崩され、鑑賞できなくなってしまった記憶がある。
寺家ふるさと村の自然がいつまでも失われないことを願いつつ、またこの地の自然を楽しみに足を運んでみようと思う。
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