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“愉快なオトナたちのリアル講義”〜COGA Part2〜後編

高校生によるオトナたちへのインタビュー第16講
見た目はほぼほぼジョニー・ロットン。野望に向かってカッコいいを追求する”ミュージシャン”COGAによるリアル講義
タイで活動するバンド THE GREEDのボーカルCOGAさんの思考を聴き解く今回のインタビューは〜COGA Part2〜。Part1のタイに行くまでの波瀾万丈な物語に引き続き、Part2ではタイで模索する必然のストーリー。タイに生きるプロフェッショナルの思考法をここに書き留める。








COGAさんにインタビューPART1!!





6,Hip-Hop


6,Hip-Hop



いろいろHip-Hopの曲を作ってきたけど、もともと日本での作曲ってライブに来るお客さんのイメージを想定したビジョンがあって作っていくのが当たり前で。
この曲は1曲目、この曲は何曲目って決めながら作ったり、この曲だったらこういう感じでジャンプとかしてもらって盛り上がってもらって、ってイメージがあって。



タイって有名になれば自分たちのライブとかができるのが普通な中で、無名だと日本なら小さなライブハウスだったりから始められるけどタイってそういうのってなくって。DJがメインで、やれても仲間のDJが自分のリリースした曲を流してくれて、1曲パフォーマンスするってのはあるんすけど。メインで5,6曲披露する場がないんすよ。

自分は音楽人生の最後にはバンドをして終わっていくんだろうってイメージはしてたんで。それがいつするかって計画は立ててないながらも、だんだんとバンドで音楽をするって欲が出ていってくんすよ。




7,憧れ


7,憧れ



アメリカニューヨークから来たみんなが知ってるようなラッパーとか、日本にいたら会うこともなかったような人たちとタイに来てから出会っていったんですけど、2016年に自分個人として音楽人生がどこに向かっているのかわかんなくなったんすよ。


それまでは目標があって、日本にいたときには武道館でやる人気者になりたいとか根拠はないけど目標はあるじゃないですか。
なんかこのままラッパーとしてやってても、自分の中で大きなビジョンが生まれなくて。

そこでわかったのが、自分の音楽やりたいと思ったきっかけがBOØWYやXで、そういうロックに憧れたんすよ。タイでラッパーとしてやってた数年間で、日本で活躍してるラッパーともタイに来てから会って、でもあの人たちはステージに立ちたいと思った曲がHip-Hopにインスピレーション受けて始めた人たちがたぶんほとんどじゃないですか。

今でもHip-Hop好きだしその界隈の友達とも遊ぶし。もちろんHip-Hopシーンにいる人にもロックから入ってHip-Hopと出会っていった人もいると思うんですよ。けど、このまま俺やってても、1年しても2年してもこの人たちに敵わないなって、見ててなんとなく思っちゃったんすよ。スキル含めて。
もともとロックミュージシャンになりたくてのめり込んで、そのプロセスでいろんなものに出会って。

結局でも、パンクとかHip-Hopとかヤンチャなのが好きなんでしょうね。ストリートから不良の手で生み出された曲たちで、もちろんスタイルも文化も違うんですけど。

Hip-Hopが好きなのに、自分は家で音楽聴くときにはロックを聴くことが多かったから、なんだかんだで1番好きなのはロックンロールなんだって気づいてきて。バンドから離れてラップでやってきたけど、ファッションもロックが1番しっくりきてるんすよ。

今やってるバンドのグリードの構想も湧いてきて、ベースとギターはこんな感じで4人編成で、そん時は自分だけ日本人であとはタイ人ってメンバー想定だったんすけど。サウンドはこんな感じに攻撃的で、尚且つ俺が築いてきたメロウなキャッチーなのも入ってるやつって。とりあえずでも作ってみようって久しぶりにisaoに会ったんすよ。


isaoさんにインタビュー!!




8,パンク:THE GREED


8,パンク:THE GREED



isaoもバンコクいるって知ってたんで、どういう意識でisaoに連絡したのか覚えてないっすけど、今度会わない?って。


「そういえば日本帰ったときに久々にベース弾いたんですよ」って。
「え、今でも全然弾けんの?」
「まあ、ある程度弾けます」
ホント?って、じゃあ今デモ音源作っててギターはなんとなく自分で入れられるんだけど、ベース弾けないからデモにベースライン入れてよって。

そしたらいいですよって、別にバンド組もうって誘ったわけではなく。お互い一切バンド一緒やろうとかなかったのに自然な流れでしたね。
そこからギターとドラム必要じゃんってなってメンバー探しに行って、初期のギターとドラムがいてすぐにレコーディング入ってCD作ってMV撮って。

あれよこれよとあるうちに今のこっちのパンクの仲間たちと会っていって、ライブも精力的にやっていって。メンバーチェンジもある程度繰り返しつつ色んな人のサポートがあって大きなフェスにも出してもらえたんですよ。

そこはやっぱりisaoも日本でハードコアやってきて、それなりに彼も良い位置に上り詰めてって。俺は俺でこれといってすげーバンドにはなれなかったんすけどそれなりのとこでやれて、日本で活動してたから活動経験があったんすよ。周りのパンクバンドの子たちよりisaoと俺は経験積んでたんで、俺ら観た人たちがステージ慣れしてる感じも観て評価してくれるんで。

海外からタイにツアーで来た大きいバンドのオープニングアクトをさせてもらったり。コミュニティも増えて、バンドシーンとMCと両立してやっていく生活が今でも続けられてて。MCとして休みもなくお客さんを盛り上げてる。今後のことはわかんないすけど、やれるとこまで、体の持つ限りはやろうって思ってますね。




9,THAILAND Ⅱ


9,THAILAND Ⅱ



ありがたいことにこの歳でもMCとして雇ってくれて、コロナが蔓延してこの先どうなってくんだろって。


収束してからやるよー、オープンするよー戻ってきなっつって、そんときにまたクラブに呼んでもらえて。人の温かみっすよね。タイの街だけでなく街のタイ人たちの人柄だとか人間性だとか、タイという国の感じ全部が好きだし。ただなんとなく海外で日本人として生活したいではなく、タイにいる限りは自分がタイのカルチャーに寄っていく感じで。俺日本人だからって感覚は全然なくて、やっぱ日本人だよね、とか日本食が1番美味いとか恋しいもないんすよ。タイ食も日本食と同じくらい好きで。

そういうのふり返ると、自分は海外生活は合ってたのかもしんないっすよね。
日本人日本人するのは自分にとって興味のあることではなくて、この国でこの街でタイ人の仲間たちと一緒になにか目標に向かってやんのが好きだから、今でもバンコクインベーダーズのMCとしてもやっていて。

これが端折って端折っての今までの全貌です。




10,今が1番楽しい


10,今が1番楽しい



今がやっぱり1番楽しいじゃないですか。


昔の方が良かったとか自分の若い頃の方が、1番世の中が〜〜〜で◯◯があったから楽しかったんだ!とか、説教くさい親父っぽくもなりたくないし。
自分らだって若いときに”今”が1番楽しいでしょって思ってたし、昔は良かったよねとか言ってる人たちのことなんてよくわかんなかったから、どの時代の若い人たちもその時その時の”今”が1番最高に決まってますしね。

若い頃じゃなくて今でも、今が1番楽しいってのがもちろんあって。過去の方が楽しかったなんて、未来がないみたいじゃないですか。自分たちにとっても、若い人たちにとっても。これから生まれてくる子たちにも申し訳ないじゃないですか。

だから今を全力で楽しんじゃえばいいんだと思いますね。子どものいる自分的には親には迷惑をかけすぎずに、とも思うんですけど。ノリでやっちまえばなんでも楽しいんで。ノリでね。







見出しごとに写真を使うのに、タイで撮った写真の整理になってタイの故郷感が脳裏をよぎって。タイのご飯も毎日食べられるタイプだし度々タイに行きたくなる、というか戻りたくなる。

次回、完全版!!そちらも是非!!

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