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【006】企業における「じんざい」

つい先日、中小企業診断士同士の集まり(ZOOM)で「人財」に関する議論がありました。

とある診断士曰く、「よく経営者が言うのは『ウチには人材がいない。だからできない(できないことはいろいろ)』と。そもそも人材、ひいては人財とは何であろうか?」
そういった問いかけがされました。
「ウチは人が財産」「ウチは人が資本」よく言われるフレーズであり、特にこれといった資本や知的財産権を持ち得ない企業としては、まさにそのとおりだなと思うわけです。

では、企業人、ビジネスパーソンとしての人材/人財とは何か?という問いですが・・・

よく使われる「じんざい」のマトリクスがあります。

じんざい

最初に考えた人は「オレって天才」って思ったかもしれないですね。

「人財」とは会社に利益をもたらす人です。自ら進んで物事に取り組み、自分で考え自分で成果を出す、自律型の人材です。
「人材」とは「人財」になりうる素材を持っている人です。まだ自律できるところまではいかないものの、モチベーション、意欲は高い。かつては企業が学生に求めていたのは人材です。
「人在」は停滞し、燻っているベテラン社員というところでしょうか。長年の勤続により、相応のスキル・実績は持っているものの、意欲に欠ける、指示されたことしか応じないというタイプです。派生的に「人済」という言い方もあるようです。
そして「人罪」ですが、意欲もなければスキルも低い、会社に損害を与える人のことです。

もう1つ、「燃える」というワードから、ビジネスパーソンを分類する方法があるようです。
これは経営コンサルタントの新将命さんという方が講演会でよく用いられているフレーズなのだそうです。私もずいぶん前ですが、「経営の教科書」は読みました。

その分類方法がこちら。
①自燃型(5~10%):自ら考え、モチベーション高く動ける人
②可燃型(80%~90%):他人から影響を受け、燃えることができる人
③不燃型(2~3%):周りががんばっていても決して燃えない人
④消火型(1~2%):燃えている人の火を消して回る、足を引っ張る人
⑤点火型(1%):モチベーター。人の心に火をつけられる稀有な存在

このタイプを上のチャートにプロットしてみるとこんな感じでしょうか。

じんざい2

さて、世の企業経営者が求める「じんざい」とはどれなのでしょうか。
普通に考えると「人財」かもしれませんが、どうやら中には「人在」を求めている企業経営者もいるようです。

一般的に小規模企業・零細企業の多くが、育成の余裕がないという状況にあるため、人の確保といえど、即戦力を求める傾向はあります。よって、人材へのニーズはかなり限られる方向にあるかと思います。人罪は言わずもがなですが。
なお、人財には自律性があります。つまりは自分の考え、言うなれば強い個を持っており、その個が経営者と衝突することも考えられるわけです。そうすると、特にワンマン色の強い経営者だと、人財というのは実は目の上のたんこぶ的な存在になることもあるわけです。こういう経営者が求めるのは人在、すなわち「黙って俺の言うことを聞いてりゃいい」と言えるような人物が実は最も好ましい、というケースもあります。
世の中小企業全てが経営に大きな課題を抱えているわけではなく、黙っていてもキャッシュが生み出せているようなビジネスを継続している企業もあります。そういった企業にとっては、(現段階においては)変革といってもリスキーだし、今のままで十分じゃん?と思っているわけで、無理に収益性を高めなくても財政基盤が安定的だったりもするわけです。ルーティンワークをミスなく、ソツなくこなしてくれればそれでいい、実は人在が活きる場所はこういうところかもしれません。

翻って人財の話です。
そうではない、経営課題は山積み、それを打破できる人財がほしい!そういった企業が人財を確保するにはどうすればよいのでしょうか。よしんば人財と呼べる人物を自社に招くことができたとしても、いつまでも自社のために尽くしてはくれず、やがては去っていくということもあります。人財を継続的に確保するにはどうすればよいのでしょうか。

実はここに雇用の限界があるのかと考えております。

人財を確保する=雇用する というのが暗黙の了解としてあります。
もちろん当初は、経営者と人財が労働契約のもと合意をし、所定の処遇を受けつつ、会社に対して高いパフォーマンスを発揮する、蜜月な関係であるかもしれません。
しかし、やがては高パフォーマンスなのをいいことに、当該人財に対して過大な負荷がかかるとともに、負荷の差異と処遇の差異が合理的でないことに気づいたその人財は、やがて会社への貢献が空しいものと感じるようになり、愛着の合った同社から心が離れ、そして新天地を求め去るといった結末を迎える。よくある話です。

では会社は、その人財は果たして週5で拘束しなければいけなかったのでしょうか。雇用ではなく業務を委託するという形を採るのは難しいのでしょうか。
人財が去る理由はいろいろあるかと思いますが、私が思うに1つにはまず待遇と負荷とのミスマッチがあります。もう1つは、雇用で週5で拘束されることにより、自己の活動に対してのリソースの供給が、休日を除いてほぼノーチャンスとなることも考えられます。
「人財」とは、上記にもあるとおり、自ら進んで物事に取り組む、問題意識の高い人物です。今の自己を取り巻く環境をもとに自己の強み・弱みも分析し、強みはさらに伸ばし、弱みを補うような取組に関しても積極的です。それは時には、今は本業に関係のないことかもしれませんが、やがては本業に関係のあることかもしれない。時代は今やVUCAですからね。

要は人財には裁量を与えるべきです。それは会社の意思決定における裁量とは別の、働き方に関する裁量です。経営者は、人財と思しき人物に対しては、拘束するのではなく自由を与える。なすべきミッションは契約の中に落とし込み、その方法は問わない。その方が人財は伸び伸びと働き、緩やかな連帯を継続的に持続することが可能ではないかと思うのです。

だから、どんな小さな企業でも、いや、小さな企業だからこそ、人財の多様な働き方を認め、雇用という形ではない別の形で、いつまでも人財と関係を築くのが、小規模事業者における今後の人的資源の確保の1つとして確立されるのではないでしょうか。難しいですけどね。

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