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健康について考えてみる

こういう仕事をしているせいか、日頃、健康のことばかりが目に付く。

特に健康オタクな気持ちはないけれど、客観的にみたらヘルシーなことばかりが好きな人に見えてるんではないかと思う。
(今年の夏の自由研究は、easyな感じでジュースクレンズしてみたし!)

ヨガを始める前までは、気力だけで起床、頑張って学校や仕事に行き、夕方になると元気になるような人だった。元々、虚弱だったのもあり、小学生の時は毎月熱を出して休むような子で、いろんな意味で、バランスが取れてなかったんだと思う。

そんなだったからこそ、ヨガを学び始めたのをきっかけに、心と体のバランスがとれることを今でも学び続けているんだな、とも思う。

健康って? と、ふと考えることがある。

何か説明をするとき、言葉の定義や前提がそれぞれにある、と、インドのことを学び始めてから思うことが多いけれど、「健康」もそうかもしれない。
「健康」って、実は、人それぞれ感覚が違うんじゃないかな。って。

結論から言うと、毎日、ピッカーン!元気ハツラツ!じゃなくても、うまく自分の体と付き合えていて、心が体に引きずられず、体に心が引きずられずにいられれば、それはとても健康なんだと私は思う。

元気ハツラツ!な「気」が元気な人は、健康にみられがちだけど、肉体的に細胞は弱っていることも多く、急に大病を患ったりする話もよく聞く。
気持ちが元気で外を向いているため、細胞は日々日々変わっていっていることに、気づいていないことが多いんだと思う。

WHOの定義では、

「健康とは、身体的、精神的、社会的に完全に良好な状態であり、単に病気がないとか虚弱でないということではない」
Health is a state of complete physical, mental and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity.

とある。

ヨガの教えの中には、特に健康という一括りのテーマは出てこない。
ヨガは解脱が目的であり、修行の方法であるからだ。
私自身もそう思い実践をしていた時期もある。

インドのいろんなものは、一つ一つ、細かく分解をして、どのフェーズでも最善の状態にしていることが合理的であり、サマディへの道のりである、というもので、特に健康について「これが」という一括りで書かれていたりはしていない。
(そう思えるのは、勉強不足?!)

実際、サドゥと言われる人たち、ヴェーダを伝える人たちは、いわゆる体の状態がいいとは言えない人たちも多い。
(これについては深い信仰心が絡んでくるのでなんとも言えないが・・)

しかし、教えを実践していくと、心身ともに健康になることも事実。
現在は医学で解明されていることも多く、私自身も健康と結び付けてお話をすることも多い。

健康のためにやっているわけではないが、なぜか、健康になるのである。

そんな中、先日、健康についての面白い記事を読んだ。
(本の名前を忘れてしまって、ものすごく残念・・・)

ドクターが書かれた本で、
健康情報を鵜呑みにしてはいけない、引き算をしよう、という内容だった。

今、たくさんの健康情報が出回っている。
これを食べるといい、あれをするといい、と、狭いところにフォーカスを当て切り取り(それ自体は事実であったとしても)比較条件がバラバラ、プロでも疑問を持つことがたくさん書かれており、情報を鵜呑みにせず、引き算が大切、と書かれていた。

私も常々、棚から急に納豆がなくなったり、ヨーグルトがなくなったりするのを見るたびにそう思っていて、ドクターがそういうことを言う時代になったのだなー、と嬉しく思った。

ヨガやアーユルヴェーダなど、自然療法の観点から考えると、
切り取って考えるということ自体が、そもそも不自然。

もちろん、成分を目安にするということは、とてもわかりやすく大切な指標。成分や数字でわかる=科学でわかる明確なもの、たくさんの人の健康状態を確認することが可能にもなり、素晴らしい科学の力だと思う。

しかし、それ以上に食物や植物の効果は科学では証明できないほど果てしなくあり、例えば、プリン体が多いから摂取しないと決めてしまうのはもったいないものもある。(もちろんここでいうものは、生命があるもの!)

アダプトゲンと言われる、科学では証明できていない働きかけをするもの、ストレス耐性を高めたり、滋養強壮、抗酸化力などで体の機能を正常化させるものが世界にはたくさんある。

生命力が高く、身体に働きかけるエネルギーがあるものたち。
そういうものが、たくさん存在する。

なので、科学の数字だけを信じていては、健康って得られないと思う。

自分にあったもの、こと、を見つけて取り入れるって、実はなかなか難しく、感覚が重要なファクター。
心にも体にも吸収できるセンサーがあるかどうか、自分の感覚や体感、それはすごく大切なのである。

キッチンに立つと思うことがある。

家での食事は、添加物や化学調味料をなるべく使わずに、人並みに料理はするけれど、好きかどうかと言われるとそうでもなくて、人の作ったものを食べる方が好き。
(料理が好きな人って、新しい味の組み合わせを楽しんだり、キッチンにずっといても飽きない、とか、研究心があるなーって思うのです)

でも、疲れて帰ったとき、今日はやりたくないなー、と思いながらも、キッチンに立って、野菜を切り始めると「植物からエネルギーをもらってる!」って思うことがたくさんある。

作り終わる頃には元気になっている。食べる前に元気になっている。

これは決して、料理が瞑想状態になっているとかそういうことではなく、香りだったり、手触りだったり、温度だったりが、感覚に刺激を与えてくれていて、食材の生命エネルギーが元気にしてくれていると、はっきり感じとれ、エネルギーもらったなぁ、と思う瞬間である。

そんなことを感じてみたり、日々のいろんなことの中で、誰かの決めた健康という定義に当てはまらなくとも、心も体も自分なりに軽やかで、元気でいられたらいいのではないかと思う。

そして、その方法は、たくさんあると思う。

それぞれの知識や経験、性質により、合うもの合わないものがあって当然。きっと、合っているものは、すごーく盛り上がらなくとも、淡々と難なく続けられ、自身が自然と変わっていくもの。

私自身、これまで、いろいろやってきた中で、佳きものとして残っていることは意外と少なく(笑)ましてや、人に提供しようと思うものはそこから更に少ない。

そんな中で、ヨガは私の中に残っている。

きっと、そんな風に受け入れたり、客観的にみるセンサーを正常化してくれたことも、とても私にはありがたかったことの理由の一つだと思う。

ヨガに出会ったとき、自身の心の変化に驚き、絶対!誰でも元気になれる、という、すごい気持ちで(笑)人にオススメをしていたなぁ。と思う。
今はそれぞれが自然に受け入れられるものを、それぞれ見つけられるといいなぁ、それがヨガだったらいいなぁ、そんな感じでお伝えしている。

話がどんどん脱線しているけれど・・・

私にとって「健康」って、
心に体が引っ張られることもなく、体が心に引っ張られることもなくいられる日々が送れていること。それがベスト!

さて、皆さんの健康って、どんな感じでしょう???

情報に踊らされてばかりじゃなく、自分自身をみて、健康を感じてみる。
それにはまず、自身のセンサーを磨くことが大切。

そんなことを考えるきっかけになれば、嬉しいです。

そして、ヨガはそんなベースを作るお手伝いができると思います。

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