『多くを赦された愛』
2024年10月6日
今日はルカによる福音書から罪深い女性が赦された話をさせていただきます。教会ではよく語られる有名な話なのですが、よく読むと謎が多くて面白いところです。
■ルカ7:36~50
さて、あるファリサイ派の人が、一緒に食事をしてほしいと願ったので、イエスはその家に入って食事の席に着かれた。この町に一人の罪深い女がいた。イエスがファリサイ派の人の家に入って食事の席に着いておられるのを知り、香油の入った石膏の壺を持って来て、後ろからイエスの足もとに近寄り、泣きながらその足を涙でぬらし始め、自分の髪の毛でぬぐい、イエスの足に接吻して香油を塗った。イエスを招待したファリサイ派の人はこれを見て、「この人がもし預言者なら、自分に触れている女がだれで、どんな人か分かるはずだ。罪深い女なのに」と思った。そこで、イエスがその人に向かって、「シモン、あなたに言いたいことがある」と言われると、シモンは、「先生、おっしゃってください」と言った。イエスはお話しになった。「ある金貸しから、二人の人が金を借りていた。一人は五百デナリオン、もう一人は五十デナリオンである。二人には返す金がなかったので、金貸しは両方の借金を帳消しにしてやった。二人のうち、どちらが多くその金貸しを愛するだろうか。」シモンは、「帳消しにしてもらった額の多い方だと思います」と答えた。イエスは、「そのとおりだ」と言われた。そして、女の方を振り向いて、シモンに言われた。「この人を見ないか。わたしがあなたの家に入ったとき、あなたは足を洗う水もくれなかったが、この人は涙でわたしの足をぬらし、髪の毛でぬぐってくれた。あなたはわたしに接吻の挨拶もしなかったが、この人はわたしが入って来てから、わたしの足に接吻してやまなかった。あなたは頭にオリーブ油を塗ってくれなかったが、この人は足に香油を塗ってくれた。だから、言っておく。この人が多くの罪を赦されたことは、わたしに示した愛の大きさで分かる。赦されることの少ない者は、愛することも少ない。」そして、イエスは女に、「あなたの罪は赦された」と言われた。同席の人たちは、「罪まで赦すこの人は、いったい何者だろう」と考え始めた。イエスは女に、「あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい」と言われた。
解りづらいところが満載なのですが、まず、このシモンという人は弟子のペテロのことではありません。他の福音書を読むと、「重い皮膚病の人シモンの家」とあるのでこのファリサイ派の人の名がシモンであり、キリストに清められた人であったこと、ベタニアという街でのできごとだったことがわかります。(マタイ26:6、マルコ14:3)さらに、ヨハネによる福音書では類似の話が生き返ったラザロの兄弟、マリアの行動として書かれています。(ヨハネ12:1~8)
マルタとマリアの給仕の話からすると、マリアと罪深い女性のイメージがどうも結びつきません。そして、ルカによる福音書以外の福音書はこのできごとはキリストが十字架にかかる直前に起こったように書かれているのです。しかし、ルカによる福音書が時系列で書かれていると考えると、まだガリラヤで活動していた時期のように思えます。
ラザロの家があったベタニアはエルサレムに近く、距離にして2.8kmしかありません。つまり、ガリラヤとは遠い距離があったのです。時期と場所、そして登場人物において謎だらけなのです。
皆さんはどう考えるでしょうか。
【まとめ】
福音書にはマリアという人物が複数出てきており、それが非常に解りにくく解釈の分かれるところになっています。キリストの母、マリアは勿論、マグダラのマリア、ラザロとマルタの兄弟のマリア、ほかにも登場しますが、解釈によってはマグダラのマリア、ラザロとマルタの兄弟のマリア、そしてルカによる福音書のこの罪深い女性を同一視する向きもありました。確かに4つの福音書を合わせて読むと、そういう結論に至るのも無理ないかもしれませんが、どうしても違和感が残ります。
ルカ以外の福音書についてはキリストを裏切ったユダのことが引き合いに出されているのも特徴です。それからヨハネによる福音書ではラザロが出てきてこの行為を行ったのがマリアだと明記しているのですが、他の福音書には何故かそういう記述がありません。キリストはラザロたちとよく接していたのでもし、マリアの行為だったとしたら明記されているのではないかと思うのです。
こういった疑問を総合的に考えると、ルカが順序正しく事の次第を書いている可能性が高いと思われます。事が起こったのは過ぎ越し祭の6日前とありますが、これはキリストが十字架にかかった年より前の過ぎ越し祭で、男は皆、エルサレムに昇ることが定められていました。なので、場所はベタニアだったと思われますが、ラザロとマルタ、マリアとキリストが親しくなる前だったのでヨハネ以外にマリアの名が記されなかったではないかと考えます。
ですから、ラザロの兄弟であるマリアとルカの罪深い女性は同一人物だった可能性が高いと思われます。
事の次第は重い皮膚病をキリストに癒してもらったファリサイ派のシモンが、キリストを招いて宴会の席が用意されました。当時の習わしでは街にいる誰でも自由にその席に出入りして、招かれたキリストの話を聞くことができたといわれています。そのためベタニアにいたラザロもそこにいたのでしょう。そして、ラザロの兄弟であったマリアは街では誰も知る罪深さを持っていた、つまりは娼婦だった可能性が高いと思います。その罪深さを抱えたままマリアもその場にいたのです。
ファリサイ派のシモンは重い皮膚病(ツァラアト)から清められていますから、以前にもお話しさせていただいたようにレビ記の定めに従って回復時は賠償の献げ物を行った筈です。けれども、シモンは自身が汚れから清められた時に犠牲として捧げた動物のことなど気にも留めていなかったのです。シモンは裕福で律法の定めに従っただけに過ぎませんでした。
シモンが恩人であるキリストのために宴会を設けたのは形式的なお礼の意味があったのだと思いますが、そこにやってきた罪深い女性のマリアをどう扱うのかファリサイ人の目線で注目したのではないでしょうか。
もうひとつ、この話で面白いのはマリアがどこのタイミングで罪を赦されたのか不明ということです。
キリストは多く赦された者の例えを語りマリアとシモンの行動の対比をさせているのですが、ファリサイ派のシモンにとってこの出来事は宴会の主役であるキリストの足を洗うこともせず、頭にオリーブ油を塗るなどもしなかったことを非難されたという部分でしか受け取れなかったかもしれませんが、そうではありません。マリアは過ぎ越し祭が差し迫った時に自分の犠牲となってくださるキリストを思い見た時に涙が止まらなくなり、自分ででき得る最大限のことをしたのです。
シモンは清められた者でありながら罪のなかにいたマリアを触れるのも嫌がっていたばかりでなく、犠牲になった動物など意にも介していなかったのです。そこには何の憐れみも愛もありませんでした。
マリアの罪はキリストの犠牲を思った時に赦されたのですが、恐らくそれは彼女に劇的な変化をその場でもたらしたのではないかと思います。なぜなら、同席の人たちが内面の変化であるはずの罪の赦しを「罪まで赦すこの人は、いったい何者だろう」と認識できるほどだったからです。
■コロサイ2:13~14
神は、わたしたちの一切の罪を赦し、規則によってわたしたちを訴えて不利に陥れていた証書を破棄し、これを十字架に釘付けにして取り除いてくださいました。
ラザロの兄弟、マリアは早い段階で罪を赦されキリストの十字架の意味を誰よりも知り得た女性だったのではないかと思います。
INFO:来週から2週にかけてエフェソスとパトモス島に行ってきますのでバイブルクラスはお休みとさせていただきます。
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