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プレピーという響き、味わい

原稿用紙に万年筆で何か書くという作業を、もう、ずいぶんとしていない。ほぼ、パソコンに向かうくらいでしか書かない(これを書いているときもそうだ)んだけど、Twitterで鹿子裕文さんが、プレピーをつかって、ブルーブラックのインクで原稿用紙に書かれているのをみてどうしてもプレピーがほしくなってしまった。

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もともと、文房具マニアで生涯を送ってきたものではあったが、はっきりいって飽和状態。
もちすぎて、一周回ってしまった生き物なのである、私は。
だから、ウォーターマンやペリカンのそれなりのものをもっていたとしても、もうあまり使っておらず、普段はラミーを二本、好きなインクをいれて(それこそ、鹿児島やら北海道釧路のインクやら名古屋とかの地元インク沼フリークなのだ)、日記に書くくらいが関の山。
それ以上に簡易万年筆も多数所持している。
いながら、またしてもプレピーの、中字の、筆運びを(鹿子さん、勝手にすいません)眺めているとどうしても欲しくなってしまい、先日ひさびさに足を運んだ神保町文房堂で一本手に入れてしまった。

早速どこかのサテンで書き味をあじわいたくなり、神田伯剌西爾へ入ろうとしたらお客さんで満員。
TAKANOはなぜかおやすみで、ああ、もうだめかと思って、思ってはいても思いきれず、普段は一周しただけであきらめる古書店めぐりをもう一巡して(『世界の名著 59  マリノフスキー レヴィ=ストロース』¥600を買うべきだったか今もって悩んでいる)から、ふたたび伯剌西爾へ行ったが入れず、せめてとマンデリンを200gだけ手に入れて、外へでてきた。

帰るしかないかと諦めたとき、そうだ古瀬戸があるじゃあああないか、と思い扉をくぐったらこちらも人でいっぱい。ヤバっと思っていると、店員さんが席を作ってくれて何とか座ることができた。
アイスコーヒーを注文。

新宿に通っていた時には、よくこのお店を利用して、何やらノートに書いたり、自分が書いたものを直したり、手帳を繰って何にもないながら何かをしようとしたりしていた過去が、思い返されたりする。
TAKANOもそうだった。
いつからか、もう通わなくなり、今はただ神田伯剌西爾で、ブラジルを飲み、たまにはケニアとかを飲んだりして出てきて、帰っていくといった感じ。
プレピーにインクを指して、毛細管現象が発言するのを待ちつつ、待てず、インクが出ないので出ないままノートにペン先を走らせたりしつつ、時間をおいたりしながら、アイスコーヒーをすすったりしながら、かける時を待った。
文房堂の入り口付近には原稿用紙が置いてあったりするのだが、わざわざ書き味を確かめるためだけに高価なゲラを手に入れたりするような時代はもう今はなく、ただただ無印の安いノートにインクが落ちるのを待つのが、心地よかったりする。
プレピーのインクは軽い感じがする。濃淡はそれほどではないが、よく走るように思える。
ペンそのものが軽く、インクも軽みがある。すばらしいじゃないか。
鹿子さんがおっしゃられていたようにインクの肌ざわりのようなものが手を伝わってくる。
ふだんは濃い目のブラックインクをつかうが、こういう色合いのものを普段使いするのもアリ、だと感じた。
作業をするときなぞは、もちろんボールペンマストではあるが、そうでないなら別段、こうした簡易万年筆をつかっても、別段誰に文句を言われることもないのだ。
高額な万年筆をつかって、どこかで落としてしまったりしたら、悲しくなって、悲しいだけじゃなくなってしまうだろうし、だったら、こうして、容易に扱うことができるプレピーのようなものを手にしていたっていい。

アイスコーヒーがなくなってしまったし、日暮れも近づいた。
いつもならもっと早く神保町を後にしているのだが、今日はともかく夕暮れくらいまではそこにいられた。
だんだん、昔のように腰を落ち着けていられるような強肩さというか、頑迷さというか、執着のようなものからは離れてしまっている。
それでもきょうはこうして長い間、神保町にいられた。

帰りの電車では安部公房『内なる辺境 都市への回路』をめくっているのだがあまり頭に入ってはこない。
それよりも、先ほどのプレピーの書き心地などを反芻してしまった。
電車の揺れにまどろみながら。

プレピーと、ラミーを交互に使って日記を書いている。

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珈琲と岩茶と将棋と読書と、すこしだけ書くことを愛する者です。