なぜ登山はうつに良いか?
どうも、うつぬけサンダーバードです。
今回はなぜ山に登ることがうつに良いか、というかなり結論に先走ったような内容について書いてみようと思う。
最初に注意事項として、私が主張したいのは、登山をしたからうつが治るというわけではない。そうではなく、登山をすることが鬱持ちの人にとっての癒やしになるであろう体験であり、少なくとも私にとっては調子が悪いときの特効薬的な役割をしているという点だ。極めて個人的な見解なので、あしからず(orzを使いたいのだが未だに使っている人はいるのかorz)
自己紹介
簡単な自己紹介をしておくと、私は鬱持ちのイギリス在住社会人5年目、27歳。趣味は写真と登山とヨガで、山は年に一回のペースで行くようにしている。年一でも大好きなのだから趣味と呼びたい。
登山の何がうつに良い?
まず結論から言うと、私が思う、登山がうつに効く要因は、「深い呼吸」とそれによる「瞑想体験(フロー状態)」だ。
深い呼吸
まず「深い呼吸」について。これはどういうことかというと、程度の違いはあれど、山を登っているときの私たちの心拍数はかなり上がる。そして上りの坂をゆっくりと登っていくとき、斜面が段々と急になり、苦しくなってきたな、と感じたら呼吸を意識的にゆっくりと深くしてみる。自分の身体にしっくり来るペースで。でもふだんよりは格段に深く、ゆっくりと。身体の端々まで山の澄んだ美味しい空気を送り込むように。
そうすると不思議と、酸素が行き渡った身体で歩を進めるのが、そこまで苦でなくなっていく。そんな状態で、身体ではなく頭の中に意識を向けてみると、段々と雑念が消え、良い意味で頭が空になっていっていることに気がつく。
そもそも私たちの普段の呼吸というのは浅すぎると私は思っている。意識してみないと呼吸は深くならない。そして呼吸が浅く、整っていないときは雑念が混じる。ああこれをしなければ、あのときこんなことを言ってしまった、次から次へと考えごとが頭に浮かび、そのたびに消えていく。そのたびに私たちのムードは乱高下し振り回される。雑念という名のメリーゴーランドから出られない状態が続くときに、私たちはいわゆる「うつ」状態に入っていく。そう私は思っている。
瞑想状態
登山において、この雑念が消えた状態を、私は一種の瞑想状態に入っているのだと勝手に思っている。瞑想状態に入るということは、必然的に「雑念」、つまり不安や焦燥感の種が入ってきにくい状態になっている。これが自分を含め、うつ持ちの人の癒やしの時間になるのでは?と私は思うのだ。
なぜ他の運動ではなくて登山なのかというと、当たり前だが、山の中では基本的に周囲に自然しかない。富士山の登山行列に揉まれているのなら別だが、この周囲に自然しかないという状態は、なかなか他の類の運動では再現できない。そして、これが気が散ることを減らし、没頭体験を生みやすい。
そして更に、瞑想状態に入る上でキーワードになるのが身体性だ。これは個体差があると思うが、身体を何らかの形で使っている、動かしているときに無心になれる瞬間があると「瞑想状態」に入っていきやすい。
うつへの特効薬
なかなか普段の生活をしていて、瞑想状態に入るということはかなり意識的にやらないと難しい。しかし、登山をしているとき、特に上りにおいては、極めて自然にいわゆる瞑想状態に入っていきやすい。そして瞑想状態というのはうつ持ちの人にとっての一種の携帯用特効薬だというのが私の主張だ。
以前読んだIkigai(生きがい)という本にこんなフレーズがあった。
意訳すると「私たちはいつもでもどこでも携帯用のポケット温泉に浸かれる状態にある。外出先でもどこでも、持っているポケット温泉のは入り方さえ知っていれば、常に必要なときに癒やしを求めることができる。」となる。少し変な言い回しだが、私は翻訳のプロではないので許して欲しい。
この一文は私にとってはとても印象的にのこった。本の文脈では、「フロー状態」(つまり、何かに没入している状態)に私たちはいつでも入れる。辛くなったときに、フローに入るための風呂を我々はいつも持ち歩いている、ということだ。(苦笑)
私は瞑想状態というのは、何かに没入しているフロー状態と表裏一体だと思っている。両者ともに、頭に雑念が入ってこず、何かに一心に取り組んでいる状態であるという共通点がある。
そしてそれらは少なくとも、うつ持ちの私にとっては癒やしの時間なのだ。もちろん、うつがひどいときは瞑想をしよう、なんて気力も湧いてこないかもしれないし、瞑想によってうつが寛解するとも私は思わない。けれど、そんな瞑想体験による癒やしの時間の比率を日常生活で少しでも増やせたら、普段の生活における辛い瞬間や、暗くて重く苦い後味が少しでも薄まる、そんな気がする。