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世界難民デー

パレスチナ人が難民となって70年も経つ。確か日本で難民という言葉が浸透したのはベトナム戦争の頃ではないかと聞く。そして今では難民という言葉か軽くなった気もする。ネカフェ難民、ランチ難民。インスタグラムのハッシュタグで #難民キャンプ  でソートすると楽しそうなキャンプ場だったりする。

難民キャンプに泊まってみる?君が嫌じゃなければ。うちの家族みんなが君を歓迎してるよ、みんなで夕食を食べようって言ってる。どう?金曜日だし。

彼が住んでいるのはデヘイシェ難民キャンプ。生まれて40数年難民ということになる。すでに亡くなったご両親も難民として生まれ、お祖父様、お祖母様が生まれた時にはまだイスラエルという国は存在しておらず、子供の頃に家を追われ難民となりベツレヘムにあるデヘイシェに落ち着くことになった。今では小さな村の体を成しているが、当時はテントでトイレも共同だった。

金曜日だし。

この言葉は実はとても意味があった。金曜日夕刻より土曜日の夕刻までユダヤ教の安息日となりイスラエル占領軍もきっちりとその教義を守る。そう、その日は全くと言っていいほど嫌がらせがない。それ以外の日はというと、夜中じゅう、だったり朝方だったり、威嚇射撃や煩い騒音を立てパレスチナ人たちの安眠を妨害したり嫌がらせがあったりする。キャンプ内だけで行われていてもその音は遠くまで届く。投石で反撃することもあれば、反論して足を撃たれることもある。そんな状況が70年も続いている。基本的には安全を確保することができるパレスチナ西岸地区だが万が一、占領軍とのイザコザに巻き込まれる場合も念頭に置いておくことも必要だ。

わたしはエルサレムに荷物を置いていたが、この日はデヘイシェに泊まることにした。すでに太陽は傾きお昼と夕方の間くらいだった。
キャンプ内にあるUNRWA(国連パレスチナ難民救済事業機関)の学校の横を通り過ぎヘブロン寄りの入り口からキャンプへ入る。急勾配の坂を歩く。坂の途中にある掘建小屋のようなネットカフェを通り過ぎ、そして理容室をすぎると右手に彼の家がある。小さいけど手入れがされた庭があり猫が自由に出入りしている。2階建の家、屋上にはソーラーパネルとウォータータンクがある。一番重要なライフラインだ。

白い壁とブーゲンビレアのピンク色のコントラストが目に鮮やかだ。室内もこざっぱりとしている。絨毯の上にソファとテーブル。ソファにあるクッション、そのカバーの刺繍は彼の亡き母の施したものだった。

さあ、ようこそ!

出迎えてくれたのは彼のお兄さんの奥様で、彼の家族は彼の兄家族だった。


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