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『写真って価値あるんですか?』に答えました。 node hotelでの出来事

京都ではアートホテルであるnode hotelに滞在した。

KyotoGraphieって国際写真展やってますけど、写真って価値あるんですか?絵の方が一点ものだし、価値があると思うんですよ。まあ、自分が絵をずっとやってるからそう思うのかもしれないけど。オリジナルプリントでシリアルナンバー入ってても結局焼き増しできるし、全然写真の価値に共感でいないんですよ。

そんな質問を受けた。

写真は時間を切り取って閉じ込めるもの。偶然を探しに出かけてひたすらその瞬間を待つ。そこにいることができた奇跡、そこに価値がある。

わたしにとって写真はそんな感じのもの。だから極力フォトショップも使わないし露出補正をしなくていい状態で撮ることを心がける。

写真の価値とは

時間を止めることができるということではなかろうか?
どんなに楽しい思い出も時間と共に記憶は薄れる。記憶の退化に反抗するようにシャッターをきる。写真はその瞬間を保存できる。あの時の空気も余韻も1枚の中に閉じ込めているように思える。

絵画は長い時間をかけて1枚の作品を作り上げる。写真はその一瞬に重きを置く。どちらが優れているとかそう言うことではない。全く違うものなのだ。同じ部分があるとすれば作者の残したいと思う強い気持ち。

消したくない

私は大学で写真を専攻した。その時の気持ちは写真が好きというポジティブな気持ちと、もう一つは何を隠そう、一人で作業ができる気楽さという点だった。実は私の第一志望は映画学科だった。しかも監督コース!でも映画って一人では作れない。監督がいてカメラ、照明、音声、演者などなど、多くの人の共同作業が私を挫折させた。

大学受験は学科で英語と国語。これに受かれば二次試験、小論文と面接。当時1997年、時代はアナログからデジタルへの移行期と呼ばれていた。小論文はデジタルカメラとかデジタルについての考察だったと記憶している。

こんなことを書いた。

デジタルになろうとアナログで続けようと、写真は真実を切り取り、時間を閉じ込める。

パレスチナに通いだしてその思いは強くなった。ダマスカスゲートだって3ヶ月見ていない間に様変わりする。チェックポイントが増えたり、村がなくなって入植地になっていたり。
あったことをなかったことにしたくない。覚えていたい。忘れたくないのに人は忘れる。記憶にとどめるために写真は有効だ。私にはフォトショップは必要ない。そこにあること、いたことが一番重要だから。

パレスチナに通いその姿を取り続けていて、今、写真展の準備をしていて受験の時に書いた小論文を思い出した。

この村も入植地になってしまうかもしれない。そしたらもうこの写真は撮ることができない。いつだって同じ景色な場所なんてない。だから取り続けたい。

ここに人が生まれ息をしている、生きている。その事実を残したい。

#挑戦している君へ  に参加しているが、このnoteは読んでいただいた皆様はもちろん、自分自身へ向けて。挑戦し続けたいと思いを込めて

あなたがサポートしてくれた分を同じだけ上乗せしてパレスチナのジェニン難民キャンプで使います!!もしジェニンをサポートしたいと思ってくださった方はこちらへ< https://thefreedomtheatre.org/donate/ >