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これまでに行った旅先の思い出をひとつあげるとしたら何ですか?#02

ベトナム ホーチミン 

今から20年前、西暦2000年に生まれて初めて、母のススメで、ホーチミンへ行った。19歳・11月初旬のことである。3泊4日の短い旅行。頼りない私と一緒に行ったイトコのナオちゃんは1歳上の20歳。同じく初アジアである。福岡出身の彼女は私の実家の隣、祖母の家に下宿し短大へ通っていた。私はおおらかでしっかり者の彼女が大好きで、姉のように慕っていた。私と一緒に行くハメになった責任感のある彼女は、相当なプレッシャーだったに違いない。お守り役のナオちゃん。そんな事に全く気がついていない私。この旅行をきっかけに彼女はアジアへ行きたいと二度と言わなくなってしまったのは私の反省すべき点だろう。

当時の旅日記や写真が出て来た。そもそも成田空港へ向かうまでに電車を間違えたり、キャッシュカードを忘れたりしているくせに、「ナオちゃんの足手まといにならないようにがんばる!」と書いている時点で当時の自分に不安しかない。

母も思い切ったものである…

友人と3人で高校卒業旅行としてパリへ行ったり、家族と海外旅行へは時々行っていたものの、アジアは全くのはじめて。40歳を目前とした今、iPhoneの無い時代、私みたいな娘が旅行へ行くと言ったなら「ちょっと待て!」と言うだろう。けれど母は送り出した。

地球の歩き方とノートとペン、首には一眼レフカメラ

指差し会話シリーズは翌年2001年に発売されているようなので、当時はまだない。今思えば完全にサバイバルである。英語も中学生レベルの二人組。

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中華街「チョロン」にある市場へ向かう

ベトナムに着いた翌朝、ナオちゃんが楽しみにしていた中華街チョロンにある市場へ行こうとバスターミナルへ向かった。当時は大通りも舗装されていない道が多く砂埃が舞う中、ウロウロと乗るべきバスを探した。

ところが、英語は通じない、英字マップを見せても分かってもらえない、色々な人に聞いてみるがどうも話が通じない。あげくの果てにはそんな場所はナイと言われる。そんな中やっと「チョロン」行きのバスを発見するのだ。

ところが乗ったバスは長距離バス

それも全く違う場所へ行くバスだった。そんな事とはつゆ知らず、呑気にバスの発車を待っていた私たち。バスに揺られて1時間も過ぎる頃、ようやく辺りを見渡しておかしいと不安になる。窓の外に広がる景色が水牛のいる田園風景に変わっていたのだ。そしていつまでたってもこのバスは止まらないではないか。そういえば、座席も指定席だった。やっと「何だかおかしいよね?」となり、周りの人に改めて聞いてみた。すると一人のベトナム人が慌て出した。どうやら全然違うと。そんな事を言っているようである。このバスはおそらく似た名前の行き先だったみたいだ。そうこうしている内に止まらないバスがやっと休憩地に到着する。

ここで下車しろ!引き返せ!みたいなことを言っている

下車してみるも、家が数軒あるだけで通り過ぎる車もない「ど田舎」である。バスに乗っていた人たちもトイレ休憩なのか降りてきた。伝言ゲームが始まった。休憩地の村人を含め私たちのせいで皆大騒ぎである。そこへ、たまたま対向車線を走る小さなバンが見えた。誰かが車の前に「止まれ!」と体を張って止めてくれた。何やら交渉が始まる。まさに渡に船である!どうやら街の近くに行くらしい。一緒に乗っていたバスの人達がバンの運転手に状況を説明してくれ、あれよあれよと言われるがままにギューギューと乗合いバンに乗り込む。そして走り出す。ちゃんとしたお礼も言えないまま、来た道を超スピードで戻りだすバンであった。

気がつけば午後3時である…

そういえば、ホテルの朝ごはんから何も食べていない。そこにタイミング良く現れる物売りのおばちゃん達。ほかの人を真似て私たちも車の窓からスポンジケーキやもち米のお菓子を購入してみた。そんな私たちが気になるのか車内の人たちが興味津々で注目している。食べものを指さしながら、「Good!」と笑って見せると車内が笑顔に包まれた。初めて肩の緊張がほどけた瞬間だった。

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乗合バン、色々な人たちが乗り降りする。

最後に乗ってきた若者は少し英語が話すことができた。ようやく街らしくなったところで、再び降りろと運転手に言われる。どうやら先ほどの英語の話すことのできる彼がこの先の道案内人らしい。彼は近くのバイクタクシー運転手2人をつかまえ、ホテルの場所を伝え値段交渉もし、これに乗れ!と笑顔で見送ってくれた。

当時、バイクタクシーには乗るなと言われていたが

そんなことは言っていられない。ここまでなんとか帰ってこれたのだ。私たちはそれぞれのバイクにまたがり運を天に任せた。生まれて初めてのバイクである。ノーヘルで飛ばしまくるバイクはクラクションを鳴らされてもどんどん進む。ぶつかりそうになっても上手いことすり抜ける。途中車にひかれそうになって、バイクが斜めになり片足水溜りに足をつっこむも、ものすごいスピードのおかげで到着した時に靴は乾いていた。

こうして夕方6時、無事戻る。

私たちの洋服は汗と排気ガスと砂埃の汚れでシンナリと薄汚れていた。その晩、日記によるとナオちゃんはベトナム語の地図を購入している。さすがである。私たちは朝から夕方まで1日がかりでベトナムの人の優しさにふれ、たくさんの人に助けられ、言葉の国境を超えた。これは無事に戻ってこれた今だから言えると思うけど、本当にたくさんの気付きがあった。助けられた。感動があった。

最後になるがGoogle Mapによると…

最初のバスターミナルから中華街チョロンにあるビンタイ市場まで約7km。公共バスを利用するなら30分で着く距離だったらしい。わたしはその後、ホーチミンへ何度か旅し他のアジアへ行くきっかけとなった。翌年バンコクではパスポートを紛失したり、その後のロンドンでどこの駅から乗ってきたのか分からなくなり、沢山の駅を下車してみたり、南インドでは雷雨で停電の中一晩過ごしたりと色々あったけれど、やっぱり最初のベトナムが一番の思い出だ。

あなたのこれまでに行った旅先の思い出をひとつあげるとしたら何ですか?

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