お正月

コネクティビティとバーチャルはどこまで行くのか~正月雑感~

2019年も明けて三が日が過ぎました。いつもどおり朝一でジョギングして、帰ってきたら恒例の駅伝をテレビで見て過ごしていたわけですが、そこで感じたこと。

家族で3日間、ニューイヤー駅伝、箱根駅伝往路・復路と見ていたわけですが、なんと(ちょっと大げさですが)全員がスマホ片手の観戦だったのです。そんなの当り前だろ、と思われるかもしれませんが、我が家では昨年まではそうでもなかった、子供は去年もそうだったかも知れないけど、自分と妻も両方ともほぼ常に片手に、という感じではなかった、と思うのです。

テレビで駅伝見てるけど、家族で会話したりしてるけど、一方で友達からLINEで「あけおめ」入ったら返信したり、FacebookやTwitter覗いたり、外部とつながっているのです。

まあ、よく考えると「外部とつながる」という意味では、携帯電話も固定電話もかかってくればつながるし、もっと原始的には年賀状が届いてほとんど会わない古い友人の近況見たりしているのも、「つながっている」ということでは一緒だな~、と思いつつ、やはりインターネット+スマホで、より即時的にフリクションレスで情報量も多く濃密につながるようになったのだな、と実感。「つながりかた」の進化。UI/UXの進化。

今ここで、家族で時間を過ごしながら、スマホの先にいる人々ともつながっている、という二重性。同じ空間にいるリアルの存在同士のつながりと、バーチャル空間でのつながりを同時に維持している、これはやはりスマホだな~、と。

やっぱりUI/UXって大きいよな、と考えると、スマートグラスなどウェアラブルな機器がもっと進化すると、即時性やフリクションレス、手軽さが更にレベルアップして、バーチャルでの「つながりかた」がもっと変わってくるのでしょうね。

バーチャルという意味では、そういえばテレビもバーチャル。駅伝で走っているランナーをずっと見ているけど、我々はそのコース上にいるわけではなくリアルに現場で見ているわけではない。カメラと電波とテレビを通して、今ここにないものを見ている。

ヘッドマウントディスプレイは既にかなり良くなっていますが、更に進化すると現実感・没入感が全く違ってきて、空間・場所の距離というのは意味をなさなくなるのだろうか。
いやしかし、ヘッドマウントでは、空気のにおいとか、気温・湿度、風・光、音など、全てを同じように感じることはできそうもないから、そこまで求めるなら「部屋」のようなバーチャル空間でないと、ダメかな、逆に「部屋」タイプなら、そこまで行ってしまうかも知れませんね。

バーチャルリアリティが進化して色んなことを空間・距離を超えて体験できるようになり、サイバー空間で自分のアバターが活動するようになり、益々バーチャルの占領する領域が増えてくる。

そうなると、逆に非バーチャルの価値、肉体的・実在の感覚、テキストや画像、動画だけでなく握手したりハグしたりすること、ジョギングしたり歩いたりして実際に動きまわることなどの意味が強くなってくるような気もする。

そういえば、バーチャルでの「触感」はどうだろう、グランドキャニオンの岩や、道後温泉の階段の手すりとか、バーチャル空間+触感を実現する機器で、実際の空間を歩いたり触ったりすることも体験できるようになるだろうか。例えば、センサー付きのグローブを通じて、あるいは全身を包むセンサー(ゾゾスーツのような)を通じて。
居ながらにして、ほぼ現地・現場と同等の体験ができる、旅行したのと同等の体験ができるバーチャル旅行。映画の「トータル・リコール」みたいですね。そうなると、本当に肉体が移動するリアルの旅行というのはとても贅沢なものになるかも知れませんね。

デジタル・バーチャルで表現・実現できないことは何が残るのでしょうね、食べたり飲んだり味わったり、でしょうか。なんて考えながら、まさにおせち料理と美味しい日本酒を食べたり飲んだりしながら、東海大学の初優勝に盛り上がったお正月でした。


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