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正義を雄弁に語ってはならない、 ドラマ「新聞記者」にみる感情による理性の覚醒

記事が校閲されて入稿されて深夜にゲラになり、夜を通して輪転機に回され大量の新聞になり、それが夜明け前に販売所から配達員によって各家庭に配布され、読者が早朝手に取るというシークエンス…

「リチャード・ジュエル」「スポットライト」「ペンタゴン・ペーパーズ」古くは「遠い夜明け」や「大統領の陰謀」、、洋画でそんなシーンを何度か目にしては高揚して正義感に酔いしれることはあったが、このNetflixの新作「新聞記者/The Journalist」で目にする同じシーンで得た高揚感と切迫感は初めてかもしれない。

これだけの豪華キャストをそろえ、誰もが知る「あの」事件をテーマにした話題作、藤井監督は決してキャストに多くを語らせず、さり気なく違和感、正義感、そして罪悪感を呼び起こしてくれた。
中日新聞の望月衣塑子さんの原作はちょっと共感できなかった。映画版も映画としての表現力はともかくテーマはいささかステレオタイプ過ぎた。このドラマにはそれはない。

メインの3人はそれぞれ家族や知人に被害者がいる。
米倉さん扮する記者はかつて代理店で不正に対峙し植物状態となった兄を持ち、
加害者側の内調職員・綾野剛にとってその記者の兄はかつての恩人、
横浜流星は亡くなった職員の甥のノンポリ就活学生だ。
だから正義感ではなく、責任感と家族への思いのはざまに揺れながら突き進む。

そう、主題は政治の疑惑の究明ではなく、身内の人間たちの尊厳をかけたドラマだから。
財務局職員が自ら命を絶ったことで、まったく問題の本質が変わったのは、現実も同じだろう。
亡き家族への想い、巻き込まれた人たちの葛藤と矜持、主要登場人物全員が主人公であり、それぞれが6時間弱という時間の中で深く掘り下げられている。

詳しく知らない、興味がない、また悪いのは野党だメディアだという人も、観ればバツの悪さを感じたり素朴な義憤に駆られてしまうと信じたい。

このドラマはフィクションであり、こういった事件・疑惑が起きた時にあなたはどう思うか?何を感じるか?そう思って観てみてください

映像のスケール感は藤井監督らしさ満開だ。
街を俯瞰したカットやアップの多用、揺れるような印象的なカメラワーク、そして岩代太郎さんのリリカルな音楽、役者たちは感情の高ぶりを沈黙や表情で最大限に表現し物静かななかに凄みが伝わってくる。

コロナも登場する。オリンピック延期や内定取り消しも。そんな時事ニュースも織り交ぜ現実とのシンクロ感を否応なしに盛り上げる脚本や監督の確信犯っプリは、ドラマに不思議なリアリティを与えている。

正直どうかと思うところも多々ある。
暗い大部屋で大勢がPCに向いあい黙々と作業する風は権力のメタファーとしては短絡的すぎる。これはリアリティはない。ってか現実はもっと。。。
あとメディアの上層部への工作.…これはちょっとわかりやすすぎ。。
なんだか悪者が絵にかいたような悪者なのも。。

それに最後まで悪役に徹した数人のキャラクターも、権力エリートな堅物として描かれ過ぎていて、いささか奥行にかける。(除く田中哲司)

以前テレビで元財務相の山口真由さんが佐川元利財局長のことを「体は小さいけど声が大きくて、威圧的だけど下から慕われるある意味怖い人」と評していたが、本当の悪役とは、実は人間的な魅力にも溢れつつ部下思いだが、仕事に徹することに何の疑問も持たない、プロフェッショナルな組織人のことではないか。
彼らの常とう句はこれだ、
「お前がやらないとみんなが困るんだぞ、家族が路頭に迷うことになるんだぞ」

一方で印象的だったのは、未亡人にロビー活動を働きかけた市民団体の存在。財務局の前で鉢巻してシュプレヒコールを上げるシーンが第三話に出てくるのだが、何ら実効性を持たないような寒々しい掛け声が空虚に響き、これじゃああかんわ、と思わせる。

結局「政権の関与は~」とか「責任者は罪を認め~」とか「民主主義の~」とか声を上げても無駄なのだ。真実を知りたい、真実が明らかにされなければ故人の名誉は回復されない、という家族の想いに勝るのものない、のだから。

故に、大きな声も上げず声を荒げることもなく、静かに言葉少なに黙々と動き切々と語る主人公たちが、とても魅力的だ。
ダメなんだ、正義を長々と理屈っぽく雄弁に語っちゃ。

とりわけ、横浜流星の役どころは大きい。藤井監督本人の代弁者として、事件の中で徐々に覚醒していく。彼と就活仲間の小野花梨の存在も大きい、彼女はコロナ禍で仕事を得ることができずその無力感から、当事者であることを捨て自暴自棄になるが、流星の告白で踏みとどまる。好きなエピソードだ。

また、はじめは組織の歯車としてかたくな真相に切り込めない多くの中間管理職(新聞社デスク、地検、財務局)たちが、当事者たる主人公たちの想いと熱意に押されどんどん覚醒していくカタルシス。

魅力的なキャラクター達も存分に人間力(演技力)を発揮している。テレビ朝日の刑事もので見かける顔が多いがいつもと顔つきが違う。
白眉は吉岡秀隆と萩原聖人、壊れていく過程と壊れてしまった結果を演じる二人はテレビサイズではない。ファンには壊れゆく村上(綾野剛)の姿も印象的だろう。


松田記者はジャーナリストの使命と被害を受けた当事者の間で葛藤しながら、映画ならではの幸せな偶然(内調職員の苦悩・村上や自殺した鈴木局員の甥との出会い、地検の良心、現実ほどタフでないスピンドクター、etc)で、完璧な証拠を引き出し、上や周りを動かし、最終的に法廷闘争へと持ち込む。

ここでドラマは終わる。
だが現実は?

この件も「認諾」という救いのない結末を迎えるのか?(公務員定年延長の閣議決定による黒川検事長問題、いわゆる検察の封殺こそ免れたが)
それは定かではない。
僕らはドラマの先にある不条理な現実を知ってしまっている。
だから真実の希求というラストシーンは永遠に描かれないと、ハッピーエンドながら絶望感に打ちひしがれてしまう。

ただそんな中でこのドラマがこうして公開され、多くの人に、そして世界中に知られ、少しでも山が動くのではないか、という希望は捨ててはいけない。

国会討論やメディアのさらなる追及に期待をしないこともない。
でも本当に期待できるのは、このドラマのちから、で少しでも気持ちや感情が揺さぶられて、何かが少しでも変わるのではないか、ということ。

真実を引き続き追及していく方々は、もう一度理性を覚醒してほしい。

誰が悪いとか、誰のせいだどとか、そういうことでない。
追求される側の方々は、失われた命の名誉を、あなたたちの真実を臆せず公表する勇気を、それぞれ回復してほしい。


そういう熱い気持ちにさせてくれる6時間であった。

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