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やっぱり、学ぶ事は楽しい。

昔まで、こんな事思いもしませんでした。

私の人生の転機は、「大学生」です。

大学生になって学ぶ事の楽しさを知ったからです。


高校生まで、勉強を楽しいと思った事が、あまりありませんでした。

唯一、日本史の勉強だけ。

これだけ、唯一、「勉強って楽しい!」と感じた科目でした。

なぜなら、

出来るからです。

出来る事は、サクサクと進むので、

時期、楽しい事に変わります。


ですが、最初はみんな"出来ない"から始まるはずです。

じゃあ、何が私を「日本史って楽しい!」と思わせたのでしょう?キッカケはなんだったのか?

キッカケは2つの理由がMIXされてます。

1つ目は、NARUTOという作品が大好きだったから。

2つ目は、先生の授業が面白かったから。

です。

そして、その先生も同じくNARUTO好きでした。

だから、日本史の授業にNARUTOを絡めて来てくれたんですよね。

好きな作品を絡めて、面白く授業してくれる。

そんな「好き」×「面白い」が混ざって

私は、"日本史大好き人間への道"をスタートさせました。

結果、私はテストを楽しみにするほどになりました。

大学は一般受験だったのですが、

日本史だけ、いつもワクワクして解いていました。

少し話が逸れますが、

「何事においてもこのワクワク忘れたくないな」って思ってます。

あの感情は無敵です。(笑)

悩みも不安も一気に飛びます。

だから、"ワクワク"って大切です。


本題に戻します。(笑)

私はこうして、"日本史"だけ勉強って楽しいなと感じる高校生時代、中学生時代を過ごしたワケです。

それは大学生になっても変わりません。

一度好きになってる物なので、思い入れが違います。

だから、ずっと好きなんです。

何より、日本史は他の科目より"出来る"ので。


ですが、大学四年生になった今、気づいた事がありました。

「日本史が出来る事には変わりないが、"出来るだけ"だな」と。

そうです。私はこの日本史という科目、

"勉強的な学び方"しかしていませんでした。

"学問的な学び方"はして来ていなかったのです。


私は昔から、「暗記」だけはやたら得意でした。

だから、日本史も出来たのかも知れません。

日本史は俗に、"暗記科目"と言われてますからね。

そして、私はその俗に言われる"暗記"だけで、

日本史を乗り越えて来たのです。

そして、暗記は得意だから、日本史は出来ます。

だから、出来るからどんどん勉強して、また楽しくなるを繰り返しました。


すなわち、日本史を断片的にしか学んでいないのです。

出来るから、得意と言っていいかも知れません。

ですが、出来るだけです。


"学問"とはきっと、"考える作業"です。

勉強をするのが基礎。

そこから"考える"という作業を伴うものだ、と感じました。

日本史において、私はこの"考える作業"をして来ていません。

この事に、大学四年生になった今気付いてしまいました。(遅いかも知れないですが、気付いた事は素晴らしい事です。気づきは成長を与えてくれますから笑)


気付いたキッカケは、2つ。

1つ目は、今自己分析をしている自分がいるから。

2つ目は、また日本史を学び始めたから。

またですが、この二つがMIXされなければ、

また私は日本史を"勉強的に学んでいた"と思います。


自己分析は、自己の行動はなぜか?と

考え、深掘りし、答えを出す作業です。

"暗記"ではありません。

答えを出すために"考える"作業です。


そして、この時期に、またふと日本史を学び出した。

なぜ学び出したのか?

キッカケは、バイト先でした。

バイト仲間と会話をしていて、日本の文化にたまたま触れました。

文字の成り立ちです。

その子は、悠々と説明を始めました。

その時の私は、好奇心ワクワク。

新しい事を知り、とっても楽しかったです。

そして、

「知識凄いな〜この子、面白い」

そう思ったのがキッカケとなり、また日本史学んでみるか!

となりました。


なので、

自己分析をして

「"考える作業"をしている自分」×「"日本史を再び学び始めた"自分」

がいなければ学問的に日本史を捉える事は無かったかと。


今回、日本史を動画で学びました。中田敦彦さんのYouTubeです。

暗記ではなく体系的に学ぶ。

物事と物事の繋がりで学ぶんです。

中田敦彦さんは、その学び方を提供してくれました。


すると、どうでしょう。

物事と物事の繋がりが見えるので、

年号なんて覚えなくていいんです。

流れで学んでいるので。


「これが"暗記の日本史"と"理解の日本史"の違いか...」

と体感しました。(笑)


高校生の時にも、先生に言われた事あったんです。

「日本史は、物事と物事の繋がりだから!

ストーリーだから!

だから、流れで理解するんだよ!

そうなるとね、年号なんか覚える必要ないの!

てかストーリーだから年号なんて意味持たないの!」

って。

ですが、高校生の時の私は、日本史を俗の"暗記'で乗り越えるタイプ。

今までのやり方をすぐに変える事は出来ませんでした。


時間にもリミットがあった、というのも関わってますね。

一般入試勉強を始めるのが遅かった×入試までの時間も少ない。

一般入試を決めた時期が遅かった自分が悪いのですが(笑)

効率よくやらなければいけませんでした。

そうなると、自分の今までの成功体験から、

"暗記の日本史"で乗り切るのが、1番良かったんです。

出来るのは成功体験で分かっていますからね。笑


ですが、時間の出来た大学四年生。

時間のリミットもありません。

すなわち、"余裕"がありました。

そこに、自己分析を通して、"考える作業"をしている自分がいた。

「時間の余裕」×「考える作業をする自分」です。

「時間の余裕なし」×「暗記に頼る自分」とは大きな違いです。

だから、日本史を理解して学びつつ、

その日本史で起きた出来事から"考える作業"を挟むことが出来たんです。


何を考えたか?

それは、「現代の日本に通じる事」です。

日本史は過去のもの。

過去と現代では時代が違うんだから、学んだって意味ないじゃないか!


そう考える人がいるのは理解出来ます。

ですが、

日本史を暗記ではなく理解して学んでいて、気付いた事があったんです。

"日本史は、気づきをくれる"と。

例えば、常識。

時代は変化します。

今の時代に当たり前とされている常識であっても、時代が変われば、その当たり前は"時代遅れ"となります。

コロナの今の時期なんか、分かりやすいでしょう。

"通うのが当たり前"が学校でした。

だけど今は、そうはいかない。

"オンライン授業"に切り替わってますよね。

通うのが当たり前とされつつも、

もしこの時期に通っていたら?

「こんなご時世に、なんて考えしてるんだ」ってきっと大半の方が言うかと思います。

時代の変化、ですよね。


日本史でも、おんなじ事がありました。

幕末です。

旧幕府軍vs新政府軍。

結果は新政府軍の勝ち。

こっちの新政府が作るのが、新たな常識です。

旧幕府軍の頃の常識は、"時代遅れ"とされます。

それはすなわち、「時代が変化したから」です。


何が言いたいかというと、

日本史は今を考える上で「いい手本」となるんです。

時代の変化はある、という事を学んだり、

その為にどう行動するといいのか、を学んだり。

すなわち、自分の視野を広げられます。

日本史を学ぶ事で、気付きを得れる。

そして、その気づきから自分の成長に繋がるんですね。


そして、「ここに面白さがあるのが日本史だ」と感じました。

日本史は学んで、気づきをくれる。

その気づきから、考える事をする。

それが、自身の成長に繋がるんです!


私は今回日本史を学んでいて、

"今"にとらわれすぎていてはダメだ、と学びました。

幕末の事を勉強したので、そう感じているんですね(笑)

薩摩や長州、坂本龍馬や河田小龍は海外を知り、

その上で、"幕末の日本の常識"を見ているんです。

海外を知っているもの、と、知らないもの。

常識には大きな差が生まれます。


"知る"って大切です。

「先を見る視点を持ちたい!」と思うのであれば、

知る事は大切だと感じました。

そして、「今自分が見ている世界が、常識だ。」

と決め付けるのも良くないですね。

当たり前、は変化します。

日本の当たり前も、海外では当たり前ではありません。

それと同じです。


先を見るなら、決め付けない。そして、知る。

当たり前にあるものだって、誰かが作らなきゃ当たり前にすらなっていないんです。


自分にも、"当たり前"を作る可能性はあるんです。

私はそれを日本史から学びました☺︎


やっぱり、学ぶって楽しい。





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