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『アキラ』~人類の文明を発展させ崩壊させるものとは(2)

偶然の一致~東京オリンピック

’88年の映画『アキラ』は2019年を舞台にしており、翌20年には東京オリンピック開催が予定されていることが描かれています。そして鉄雄と「アキラ」による破壊により、明らかに東京オリンピックは開催できなくなります。

現実世界において、東京オリンピックの20年開催が予定されていたのが、コロナ禍により延期されたことは、興味深い偶然の一致です。

コロナ禍による人間社会への打撃を、「アキラ」や鉄雄による破壊とパラレルにとらえ、映画『アキラ』がこれを予言したと捉える人もいるようです。確かに、コロナ禍が世界にもたらした混乱は、ある意味、人類の文明を仮死状態に置くものだったのかも知れません。

ただ、「アキラ」や鉄雄による暴走、破壊が示唆するのは、人間自身の文明の暴走とそれによる自壊です。コロナ禍は、人間の文明の暴走に歯止めがかからなくなったために発生したものではありませんので、コロナ禍とからめてメッセージを解釈するのは無理があるかもしれません。

もちろん、私たちの文明の発展により、世界における人的交流が活発になり、経済をはじめ相互依存が高まっています。そのために、コロナの影響が急速に世界的に広まったことはあるとは思います。

『アキラ』のメッセージ

現在、私たち人類の文明の発展が、その方法をよくよく見なおさなければならない時期に来ていることは確かです。『アキラ』はそのことを伝えたいのだと思います。

その具体的な解釈は観る人に委ねられています。私は個人的には、そのような課題として、一つには、核(原子力)の問題、そしてもう一つは、地球という物理的制約との関係を考えながら観ていました。

一つ目の核(原子力)の問題は、何よりも核兵器の問題です。人類が獲得した技術によって、誰も望んでいない人類の破滅につながりうる状況になっているわけです。また、原子力発電など、原子力の平和利用についても適切に管理を継続しなければならないことは言うまでもありません。

その関連で、『アキラ』が3・11の福島第一原発の事故を予言したとして、原発を批判するメッセージだと解釈する見方もあるようです。

もう一つは、地球の物理的限界との関係。人間は豊かさを求めて、様々な技術を開発してきました。それを実現するため、地球の資源を遠慮なく利用するとともに、その活動の影響を自然環境に及ぼし続けてきました。

人類は増大を続け、地球に及ぼす影響は人の数だけ増えています。それだけでなく、人間生活の高度化によって、一人ひとりが及ぼす影響も増大しています。資源の枯渇もいつかは来ますし、その前にCO2排出による地球温暖化で人間社会がつぶれるかも知れません。

他にもあるかもしれませんが、私たちにそういったことを考えさせるのが『アキラ』のメッセージなのでしょう。

『アキラ』で鉄雄が見る幻覚の中で、膨張したぬいぐるみが血を流したり、巨大化した幼児に鉄雄が飲み込まれたりします。それらは、鉄雄の幼少期のトラウマの発現のようでもありますが、人類がその獲得したおもちゃ(科学技術)を持て余し、それに翻弄される姿のようでもあります。

「26番の老少女」は言います。

「アキラの力は、誰の中にも存在するわ。」「その力が目覚めたとき、たとえその準備ができていなくても、その人は使い方を選択しなくてはならないの。」                          (つづく)

(次回は、謎の多い『アキラ』のエンディングについて考えてみたいと思います。)

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