認知症介護の裏側 「おじとの確執」ver.3

「おじとの確執」シリーズもver.3まで突入した。
この記事(ver.3)から見始めた方はぜひ先に下の2つの記事を見てほしい。

出来事2 「祖母がいつから認知症か?そんなことわかるわけない。」

「ばあちゃんはこの時から認知症ではなかったのか?」
「実は20〇〇年に山口に帰ってきたとき、僕も〇〇(おば)もおかしいと思っていた。」
「もっと早く異変に気づいとけば、色々対策ができたのではないか?」

おじは僕と父の3人でビデオ通話をした時には口頭で、僕と父の個人ラインではメッセージでこのようなことを言ってくることがある。

この質問はもしかしたら"認知症介護あるある”かもしれない。
このような質問は出来事1の前からあったが、介護を続けて1年以上経過をしているのに、不定期に過去の祖母のことを聞かれ続けるとイライラしてしまう。

僕だって過去の祖母について色々思うこともある。
あの時のあれはそうだったのか、もし祖母が将来を見越して終活をしていれば少しは介護が楽になっていたのかも、過去の自分や祖母の行動について言いたいこともある。どれほど過去の出来事を後悔しても起きてしまったことはしょうがないのに。

過去に祖母が下した判断や行った物事を現在になって僕や父が尻拭いをしている時に、僕も心の中で「なんで終活をしなかったんだ!」と叫ぶことがよくある。
尻拭いをしているときの僕はイライラし、笑顔が消え誰が見ても不機嫌な顔になってしまう。でもその怒りを祖母にぶつけたところで何か良い変化が起こるわけがない。

前述の真ん中の質問に関しては、数年前に2人が気づいていたのなら、なぜその時本人に直接言わなかったのか?仮に当時の祖母に言ったところで、去年僕と父が経験したように大拒絶されただろうが。今のおじがやってることは後だしじゃんけんである。

出来事3 「孫には介護義務はない。義務があるのは父そしてあなたである。」

おそらく1ヶ月前だろうか?何をきっかけにそのことを調べたのか分からないが、僕はインターネットで介護に関するある法律を知った。

結論から言うと、祖父母に介護が必要になったら場合、介護義務があるのはその子供である。つまり祖母にとって孫である僕には介護義務がないのだ。これまで介護で何かある度に自分自身に「なんで介護をしているんだ?」と問い続けてきたが、僕は介護をする必要がないことを、法律という確固たるもので証明されたのだ。

つまり、僕が介護に嫌気をさして祖母の介護を拒否したところで誰も何もいうことができない。つまり「今日から介護しません。何かあっても知りません。」と言うこともできる。しかし、そんなことできないのが僕の良いところでもあり、悪いところでもある。これまでNote上で嫌ほど耳にタコができるほど言ってきたが、僕が介護と家事を辞めた瞬間、我が家はすぐに、必ず崩壊してしまう。

おじは介護義務を果たしているのだろうか。父は働けない僕の代わりに仕事をしている。働けない僕のために年金や国保、そしてカードの支払いをしてくれている。僕が定期的に野球観戦をしなければ、介護のストレスが発散できず大変なことになることを知っているのでそのお金も負担してくれている。さらには家族3人が同じ家で生活できるための生活費、光熱費も負担している。その一方で、おじは祖母の介護のために何をしてくれているのだろう。

おじは祖母の通帳をとある事情で管理しているが、支援と言える支援を行っていない。祖母とおじの性格が合わないから家を出た、とか言っているがおじにとって祖母は唯一の母親である事実は変わらない。遠くに住んでいるから介護に行けないとか理由にならない。出来事1で祖母の貯金から僕に介護代やお小遣い等を渡すことができないのであれば、おじが払えば良いだけの話である。金銭的な問題は介護において最も重要なものだ。言葉が悪いかもしれないが、結局お金が全てなのだ。

先月、僕と父、そしておじはビデオ電話をした。
色々な話をする中で僕はおじに対して、孫には介護義務がないということをさりげなく入れ込んでみた。もしかしたらおじは介護義務に関する法律を知らないだけかもしれない、言えば何か支援をする気になるかもしれない、と思い、これまで言う気にならなかったが意を決して伝えたのだ。

まあ結果は受け流されただけ。父も今の状況を悪いと思い、父としてのプライドを無くして僕に謝罪をしたのに、おじにはこれまで介護に関する謝罪や感謝の意を伝えられた記憶がない。

僕的にはここまで言っても無駄なのなら、家裁にいき裁判を起こしてもいいと思った。でも父はしたくないと言う。裁判がきっかけで兄弟同士が関係を切り、いずれ祖母にその時が来た時におじ一家が山口に帰って来ない状況を恐れているのだ。

僕としても介護がきっかけで従姉妹と会えなくなるのは嫌だ。
第一に祖母にとって、自身の認知症と介護が原因で自分の息子同士と孫が裁判で決着をつけるとかどれほど悲しいことだろう。


過去3記事に渡り、僕はおじに対する鬱憤を吐きまくってきた。
おじが僕たち家族にここまで酷いことが言えるのは、おじやおじ家族が"認知症”という病のこと、在宅介護の大変さを理解していない、または理解しようとしていないからだろう。

以前、従姉妹からLINEで「父はお酒を飲むと性格が変わります。変なラインがきたら無視してください。ごめんね。」とメッセージが来たことがある。従姉妹にとっておじは大好きなお父さんなのだが、お酒を飲んだら性格が変わるため、もしかしたら僕たちに迷惑をかけていると思ったのだろう。

本当は従姉妹に全てを暴露しようとも考えたのだが、僕は以前からずっと従姉妹には認知症介護の大変さを伝えたくない、と決心している。

従姉妹は誰もが知っている某有名私立大学を卒業した後に広告代理店に就職をした。しかしその会社の風土が合わず、その後転職したホテルでも生活サイクルが合わず退職、そして今は誰もが知っている有名企業で仕事を楽しんでいるらしい。

従姉妹も僕同様に生真面目な性格なので、これまで色々悩んできたのだろう。
これまで辛かった人生が終わり、現在幸せな人生を歩み出しているのに、遠く離れた山口で僕がとんでもない状態の中介護をしていると知ったら、きっと思い悩んでしまうだろう。

いとこ同士が祖母の介護で悩むぐらいなら、僕だけが悩めばいいと思っている。
祖母が亡くなった時に、介護の経験を辛いながらも良かったと思える経験にするために、僕はどうにかしておじに支援を求め続ける。

最後まで読んでくださり、ありがとうございます。
最後の最後に伝えたいのは、僕はおじの全てが嫌いになったわけではありません。
あくまで介護に関しては尊敬できないだけで、外国人や海外の文化について興味を持てたのは、紛れもなくおじがきっかけなのだから。

以上





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