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新卒でうつになって休職して復職することになった私は白いスニーカーを履けるようになった。


 ある日突然、何もできなくなった。


 ワンコールで必ず取っていた電話も、取り急ぎメールを確認した旨の返信も、すぐに上司や先輩へわからないことを聞くことも。何かタスクが降ってくるたびに、心臓を殴られたかのように動悸がとまらなくなった。

 やる気まんまんだった新入社員の私は、いともかんたんに会社に行けなくなったのだ。

 病院で「うつ病」と診断され、そこから約数か月の間、休職することになった。休むと決めた瞬間は、体中に絡みついて離れなかったストレスが少しだけほどけていくような安心感が先にやってきて、そのあとじわじわと不安がしみてきた。同期より少しでも先に前へと走ってきた自分にとって、休むことは試合退場であり、むしろ3歩進んだはずの道のりを4歩下がるくらいのことのように思っていた。でも、全然そうじゃなかった。そんな私から、休むことは大切だって、このnoteで伝えたい。

休職したばかりの生活はただひたすらに暗くて重かった

 夜はなかなか眠れず、永遠とスマホをスクロールしていたら朝が来てしまう。朝方、気絶するように眠りについた。お昼に目覚めるとボーッとテレビを眺める。なんとか夕方には布団から出て、部屋着のままスーパーに行き、半額弁当を適当に買って帰った。焦りや不安。実体のない闇が体にまとわりつく。孤独の重さで体がベッドに深く沈んでほとんど動くことができなかった。さらに、部屋には洗濯していない洋服やプラ容器、ペットボトルが散乱する。朝起きれないからゴミ出しに間に合わないし、もう最悪だ。

 そうして、また夜がやってくる。暗闇の中、「今日も何もできなかった」という事実だけがただ残り、これがさらに心を苦しめた。1人暮らしなのに、心配かけたくないという気持ちから家族にも言えなかった。

こんなはずじゃなかった。

こんなはずじゃなかった。

こんなはずじゃなかった。

 誰に届くでもない暗闇のなかで何度もそう呟いて、シャワーの音でかき消しては、何とか夜をやり過ごしていた。

 私は、音楽がとても好きだった。人生を変えるほどのバンドに出会った高校生の頃は、ウォークマンとイヤホンとスニーカーがあれば、どこにでも行けると信じていた。どんなに悲しいことがあっても、音楽があればそんな気持ちさえ豊かなものに変えてくれた。しかし、うつになると音楽を聴いても脳ががざわざわしてしまい、イヤホンを外すことが増えてしまった。
 大人になって自由とお金を手にした今のほうが、なぜだかもうどこにも行けないけがして苦しい。そうして、私の生きるこの世界から、音楽が消えてしまった。それが、うつになって何よりもつらかったし、これは病気なんだと思い知らされた。

孤独な時間だからこそ得られたことがある。

 ただひたすらに眠る。そんな生活を数週間していくと、だんだんと心に隙間が空いてくるのが分かった。仕事をしていた時は、仕事に対する不安や、他人から放たれた心ない言葉で頭と心がパンクしていた。
 けれど、この先しばらく仕事に行かなくていいという事実を思い出すと、とりあえず目先のストレスから解放され、少しずつ濁った空気が体から抜けていくのが分かった。そして、他人と切り離された時間は、様々な雑音を消していき、やがてただ自分の声だけが聞こえるようになってくる。
 次第に、自分の気持ちに耳を傾け、空っぽになった心と頭を、ただ好きなことだけで満たすことができるようになっていった。

 そうしてるうちに、私を苦しめていた孤独という感覚は、「自分とふたりきりで暮らす」という不思議だけれどこの言葉でしか表すことができない感覚に変わっていった。

 自分とふたりきりの暮らしでは、自分が認められる自分でいることが唯一のルールだった。その上、時間がたっぷりありすぎたから、日常の些細な選択にも暇つぶしがてら「自分」によく相談して、最も自分が喜ぶ選択を探すことができた。

 例えば、朝食はお米よりトーストのほうが体の調子も気分もよくなることが分かった。さらに言えばPASCOの超熟5枚切りを2枚食べるのが最適解だと辿り着いた。4枚切り、6枚切り、8枚切り、他社メーカーの食パンも試したが、やっぱりPASCOの超熟5枚切りがいい。自分も知らなかった、自分の好きに出会うことをこうして少しずつ増やしていった。
 あと、面白いアニメをたくさん探した。今更って感じはするけど、ルフィーと炭次郎は私の心の親友になった。そうして、好きなことやもので日常が少しずつ彩られていった。

 休職前の私は常に他人の正しさだけを探していた。学生の頃から追いかけていた夢を手放して、いわゆる”普通の人生”に身を投げた。その時から、自分とではなく、他人だけと生きていたのかもしれない。他人しか存在しない世界では、他人に認められることだけが唯一のルールだった。他人に認められる努力をしないとどうも居心地が悪い。だから、仕事では同期よりも1歩でも前を歩いていたかったし、少しでもプレッシャーを背負いに行きたかった。そうして、いつしか自分の呼吸の仕方さえ忘れてしまったのかもしれない。

休むということは前向きな選択である

 休むことはとても大きな勇気がいることだと思うし、ネガティブなイメージを持っている人は多いと思う。社会や周りの人々から置いて行かれるような気もするし、もう元には戻れないのではないかという恐怖、そして今まで積み上げてきた信頼や経験をドブに捨てるような気持になるかもしれない。実際、私はそうだった。

 それでも、いざ仕事を長期間休んでみれば、そんなこと全然なかった。もしあの時、休まずに無理やり仕事を続けてもっと心がぐしゃぐしゃにつぶされていたら、まだ心が健やかではない時に仕事を辞めていたら、そう考えるほうがずっとこわい。私は休むことで、本当に自分が歩みたい道や暮らし方、そして何よりも感性を取り戻せたことで、ようやく自分の人生を歩けるようになった気がしている。

 うつになってよかったなんて全く思わないしなるべくもう二度と経験したくない。でも、どっちにしろ自分とうまく生きられなかったままだったら、どちらにしろどこかで心はほころびができてしまっただろうし、早く人生の軌道修正ができてよかった、くらいにおもっている。

 がんばるということはとても素晴らしいことだけど、きちんと自分の気持ちを大切にできる余裕をもって暮らしたい。そして、他人から認められるために仕事をがんばるのではなくて、自分の得意なことで誰かの役に立てる仕事を見つけていきたい。今はそう思っている。

 うつになった原因は、仕事そのものではなく、環境的なストレスだったけど、休んだことで自分としっかり向き合い歩く方向を変えることができた。   そして、いろんな人の協力があって、環境を変え、希望していた部署で新しい仕事をさせてもらえることになった。

 そして、もう一度、大きな声で伝えたい。

休むということは、とても前向きな選択だ。

 確かに、誰よりも早く3歩踏み出したと思えば、4歩下がってしまった。それでも、今ではそれでよかったとさえ思う。3歩踏み出した先に、私が本当に目指すべきゴールがあったとは限らない。もしかしたら、4歩下がったその先にこそゴールがあるかもしれない。目指すべき場所が、今自分の見ている視線の先に必ずしもあるとは限らない。休むことは、自分自身を見つめる時間と心の余裕を与えてくれた。ただまっすぐに突き進むしか知らなかった私に、本当はどこに行きたいのかを考えるきっかけをくれた。休職期間は、働かなくとも、ひとりの人間としてとても正しい時間だった。そうして、直線の人生を手放し、より自由な360度の人生を手に入れることができた。

うつを乗り越えると、白いスニーカーを履けるようになった私がいた

 やっと、復職することが決まった日。

 汚れるのが怖くて一度も履かずにしまったままの真っ白いスニーカーを靴棚から取り出した。ピカピカのそれに、ためらいもなく足を入れる。そして、人生を変えるほどのバンドに出会った海のある公園に向かう。もう、汚れることが怖くなかった。汚れても拭えばいいだけのことだ。もしも拭いきれないほど汚れたならば、穴が開く前に新しいスニーカーをまた買えばいい。そんな簡単なことにいまさら気づくことができた。
 空が大きく開けた海のある公園につくとイヤホンを耳にはめた。また音のなりはじめたこの町を、真白なスニーカーで歩き始めた。高校生のあの頃の自分のように、音楽とスニーカーさえあればどこにでも行けるような気がしている。

 休むという選択をしたからこそ、私は私を取り戻すことができたんだ。

 こうしてまた歩き始めるために必要な決断だったと心の底から思う。

 大人の端くれとして、この世の中がどんなにつらいか、少しだけ知ってしまった。残念ながら、人間は人間に、簡単に傷つけられてしまうし壊されてしまう。だからこそ、せめて自分だけは自分に優しくしてあげてもいい、失敗しても見放さないでいてもいい。

 時には「休む」という前向きな選択を取りながら、ゆっくりと、この世界を360度見渡して、生きたい方向に歩いていけばいい。

 大丈夫、私なら、きっとうまくいく。

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