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記憶と記録の思い出を残す

#4 aftersun

猛暑のこの夏、たまには家でゆっくりと

Amazonプライムで鑑賞。
映画館で観たかったと思いつつも、この静かなトーンの映画は、劇場で観ると眠ってしまいそうな気がしたので、自宅でコーヒーを飲みながらゆっくり鑑賞した。
本作は単なる親子の物語ではなく、観る人によっては、
「何を伝えたいのか今ひとつ分からない」と感じるかもしれない。
なぜなら、この映画は直接的ではなく、
非常に遠回しで抽象的に描かれているからだ。
そのため、鑑賞後に解説や考察を読んでみると、さらに深く心に響き、
あなたの記憶に残る一本となるのではないだろうか。
猛暑で外に出たくないこの夏、家でゆっくりとこの作品に浸ってみてはいかがでしょうか?
また、本作は夏のリゾート地の美しい風景がたくさん出てくる為、
今の時期にはぴったりではないだろうか。

映画でのワンシーン

監督の感情的な自伝

本作は、シャーロット・ウェルズ監督が自身の父との思い出をもとに描いた作品である。監督は本作のことを以下のように述べています。

子供の頃に父と過ごした休暇や母との思い出など、部分的に私自身の記憶や体験をもとにしましたが、物語全体はフィクションです。一方で描かれている感情や気持ちはすべて自分が経験したもの。だから私はこの映画を「感情的な自伝」と呼んでいます。

文集オンライン 『aftersun/アフターサン』シャーロット・ウェルズ監督インタビュー

何歳だったら良い父親なのだ

本作は、31歳の父と11歳の娘が共に過ごした夏の思い出を描いている。
当時撮影されたホームビデオを通して、20年後に父と同じ年齢になった娘の視点から綴られている。
31歳の父親(つまり20歳の時の子)という設定を聞き、
かなり若いと感じる方も少なくないだろう。
監督自身、「若くして良い父親を描きたかった」と語っている。
実際、彼女の父親も若くして親になったそうだ。
世間では「若い父親」をダメな親や未熟な親だと見なしたり、
離婚すれば「若いからだ」と判断する。
しかし、本作に登場する父親カルムは、とても娘思いで、
娘への愛情は何よりも伝わってくる。
普段は一緒に暮らしていなくても、
娘のソフィは寂しさを感じている様子もなく、
むしろ父を一番の理解者だと感じているようにも思える。
良い父親であることに、年齢は関係ない。
もし、世間が若き親を未熟というのであれば、
では何歳から成熟した父なのだろうか。

左側が実際のウェルズ親子 右側が劇中の親子


大人になろうとする娘

娘のソフィーは、11歳を迎えたばかりで、
思春期に差し掛かる微妙な年齢。
異性への興味や性への関心、自身の性自認など、さまざまな事柄に好奇心が芽生え始める時期。
こうした自身の変化を父親には隠したいという思いから、
父に対し壁を作ってしまう時がある。
しかし、心の底では大好きな父親に反抗してしまった後悔、
まだ大好きな父の娘でいたいという思い、もっと甘えたいと思う気持ち、
一方で、大人への憧れという感情の間で揺れ動く気持ちが
観ていてよく分かる。
こうした苦い経験は、誰しも一度は
味わったことがあるのではないだろうか。
本作の見どころは、この複雑な感情をセリフではなく、
表情だけで見事に表現しているところでもある。

年上の男女グループの仲間に入れてもらうソフィー


記録と記憶

20年後、彼女は当時の父と同じ年齢になった時、
ビデオを見て、大好きだった父との
懐かしい楽しい思い出を振り返り、
記憶を甦らしていくと同時に、
当時は知らなかったもしくは、
気付くことができなかった父の本当の姿。
父の弱い部分の記録を見る。
人は、時が経つにつれて、記憶は曖昧になり、
そのうち想像と混ざり合ってしまう。
しかし、ビデオの記録は、紛れもない真実でなのだ。
当時の父と同い年となり、真実を見た今、
娘ソフィはー亡き父と会話をするかのように
ビデオを見たのではないだろうか。
カラム自身が映るのを嫌がったというのもあるが、
映像には父カラムの姿をそこまで映っていない。

残すから わたしの心のカメラに

ソフィーのセリフより

このセリフは、それは父との思い出を真実としての記録ではなく、
素敵な記憶として心に残したいという思いもあったのではないだろうか。


父を撮るソフィー

もし彼女もそうなのであれば

うつ病や心の病は遺伝する可能性が高いと言われている。
本作でも、娘のソフィが

「ちょっと落ち込んでいる」
「家に帰ると疲れて落ち込んじゃう」
「骨が動いてくれない、クタクタで何もした句なくなる」
「沈んでいくミョーな感じ」

ソフィーのセリフより

と言うシーンがある。
これらはうつの初期症状とも考えられる。
(医師ではないし、断言していないのであくまでも推測。)
それに対し、悔しさや怒りから、
カラムが鏡に向かって歯磨き粉を鏡の自分に向かって
吐き出す。
この行動は、カラムが父親として、
自分と同じ精神的傾向を持っている娘への申し訳なさや、
自分と同じ苦しみを娘には味わわせたくない。
という思いの表れではないだろうか。
鬱や精神的傾向は親子で遺伝すると言われている。
そして、20年後父のビデオを見返した時、
もし、彼女が父と同じ病に苦しんでいたら、
あるいは苦しんでいるのだとしたら、
当時の父カラムの気持ちをより一層、理解できたのではないだろうか。


表情に注目してみてほしい

本作では、心に響くセリフも数多くあるが、特徴として人々の表情だ。
絶望的な表情や心からリラックスしている時の表情、心から愛している人に見せる表情など、言葉では表現しきれない感情が、表情だけで本当にリアルに伝わってくる。
だからこそ一回見るだけでは理解しきれない部分もあるのだろう。

そろそろ締めます

この作品は、個人的に私自身、自分の父との関係性と重なる部分もあり
思い入れが深い作品のため、感想がとても長くなってしまった。
父という存在は偉大であり、尊敬できる分、弱い部分を知った際、
初めて父も一人の人間であるということを知った。
また、私は父と似ている部分があり、
ソフィーと同じくらいの年齢の時、
”お前とは似ているから考えていることは何でも分かる”と
言われたことがある。(明るいテンションで)
当時それがとても嫌だったが、
今となって気づくのは、父と私は本当に似た者同士で、
父が私の理解者であるということだ。
そのことに気づいた時、
いつかはその理解者がいなくなってしまう
ということにも気づかされたと同時に不安な気持ちにもなった。
しかし、この作品を見て、大切な人や自分の理解者との時間を、
ポジティブで明るい記憶として心に刻みたいと思った。


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