細かく指示を出す教員は要らない
学校では教員が子どもたちへ指示を出す場面が多く存在する。
1〜10までやることがあるとすれば、
1から1つずつ説明して、
1が終わったら2を説明して、2をやらせて、終わったら3へというように進めたり、
または、1〜10までのやることを黒板に示したり、プリントにして示したりする。
どちらにしても、その教員からの指示を受けて、子どもたちはその通りに行動すれば良く、逆にその通りやらなければ注意を受けるということだ。
だから利口な子ほど、指示を待ってから行動するようになる。
小学校の教員は特にそうだが、
子どもに対して事細かに指示を出す教員が多い。
なぜなら、子どもに何をすべきなのかが伝わらないと、子どもが何をしていいのか分からなくなって困ってしまうからだ。
先輩教員や管理職に授業を見られる際に、このような状況になると、かならず指示の出し方が悪い事を注意される。
「子どもが何をしたら良いか分からず、安心して活動ができていない」などと言われてしまう。
だから、教員は子どもたちにとって常に分かりやすく、安心して活動ができるように細かく丁寧に説明するし、学校にはこのように子どもに対して丁寧に指示を出す教員がほとんどである。
しかし、私はここに大きな問題があると感じる。
なぜなら、子どもたちに細かく指示して欲しいかを確認していないからである。
子どもたちが丁寧な指示を欲していようがいまいが関係なく、教員側の都合でそれを強いているのだ。
これでは、丁寧に指示されることが当たり前になってしまう。
そして、常に1から10説明しないと理解できない人間にしかならない。
丁寧に説明されることが当たり前になった人間は、その内にうまくいかないことを説明した者のせいにし始める。
決して1を聞いて10を理解する人間にはならない。
しかし、社会で求められるのは、1を聞いて10を理解する者なはずだ。
決して指示を出されることが当たり前で、指示を出す者に文句ばかり言っている人間ではないはずなのである。
こんなことを考えながら学校の職員室を見渡してみると、指示者の指示に文句を言う教員ばかりである。
なぜなら、日頃から事細かく丁寧に説明するのが当たり前の教員たちだからだ。
子どもたちへの指示は丁寧でなくて良いのだ。授業中に困る者がいて良い。
しかし、必ず理解する者もいるはずだ。学級の中で理解力の高い者が低い者へどうすべきか、逆に理解力の低い者はどうすべきか、子どもたち自身が気づいて行動できなければならないはずなのである。
もちろん手を抜けということではない。
目的に向かってどう行動すべきかを常に考えるという普遍的な力を見つけさせるために正しく指示をだすべきであるということだ。
丁寧に事細かく説明する教員はもう要らないのである。
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