子どもの気持ちを察する教員は要らない

子どもの言語化能力は発展途上であり、
子どものそれは自分の状況を言葉で伝えるには不十分であることが多い。

大人たちは子どもたちの拙い言葉をたよりに、その子の状況や何を伝えたいのかを予測する。
「〇〇して欲しいの?」
「〇〇が嫌なの?」
と確認し、子どもが首を縦に振ることで大人たちは安堵する。

子どもは、周りの大人が自分の気持ちを察してくれることが当たり前になる。
だから言葉を覚えても、それらを使って自分の気持ちを正確に伝える必要がないので、言葉の実践力が高まらない。

「先生!〇〇!」
「先生は〇〇じゃありません!」

このようなやり取りは、言葉の実践力が育ってないことの代表例であろう。
もちろん、敬語で相手に敬意を伝えることなど、到底できるはずはない。

敬語が使えない若者も、コミュ障な若者も、語彙力の低い若者も、全ては大人が子どもの気持ちを察し続けてきた結果であろう。

ご家庭であれば、自分の子に対して好きにして構わない。
がしかし、学校にいる時の教員は、クラスの子どもに対して過度に、その子の気持ちを察して先回りしてあげたり、その子の言葉を補ってあげたりしてはならない。

もちろん程度問題の話だが、小学校で言えば中学年以降は極力それをしない方がいい。

例えば、
「先生!学校でシャーペン使ってもいいんですか!?」
と言ってくる児童がよくいる。
これは大体の場合
「〇〇さんが学校でシャーペンを使っているので注意してください!」
という意味だ。

しかし、ここで大人がこの質問をしてきたらと考えるとどうだろう。
答えは当然YESだ。

だから子どもに対しても
「いいにきまってるでしょ?だって先生は今ボールペン使ってますよ。」
と答えれば良いのだ。

教員は言葉の不足を補ったり、状況を見て子どもが何を伝えたいのかを察するのではなく、
子どもが発した言葉だけで伝わる範囲を瞬時に理解して、その範囲内で返してあげなければならない。
決してその範囲を超えて返してはならないのだ。

何を言っているのか意味不明な質問に対しても、こちらから聞き返してはならない。
「君が何をして欲しいのかわかりません」とまず伝えるべきだ。
そうすれば子どもは考えるはずだ。
切羽詰まってる状況ならなおさらだ。

もちろんそのまま放置するのも後々問題になりそうだが、ある程度は考えさせなければ、言葉の実践力が高まることはないだろう。

教員はもっと意地悪にならなけばならないのだ。
子どもを安全に困らせられるのは教員だけなのだから。

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