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「願いは公言すると叶う」は本当らしい

よく言われていることだ、「願いごととか目標は公言した方が叶う」

それがまさにこの私によって立証されたので…どなたかの参考になれば、そう思って、noteに書き起こしておこうと思う。

↑ このツイートだけでだいたいの流れが把握できると思う。

要するにTwitterに書いておいたら(おそらくテレ玉さんに伝わって)願いが叶ったのだ。

なんかいろいろあって(詳しくはリンクからどうぞ)、私は今ThickFogというバンドとして、テレビ埼玉のデータ放送関連のCMに出演させていただいている。

ところで、私は北海道出身だ。

北海道といえばTEAM NACSだろう。そして、水曜どうでしょうだろう。異論は認めるけれど、私も譲らないぞ。

そして、テレビ埼玉では水曜の夜にどうでしょうClassicが放送されているのだ。

水曜どうでしょうClassic
2004年7月14日 - 2009年4月22日、2013年5月22日‐2013年8月14日、2017年12月13日‐2018年3月14日 全243回。
全ての放送を終えた『リターンズ』の後釜として、2004年の新作(ジャングル・リベンジ)を挟んで開始された「再々放送版」。こちらも『どうでしょう』の再放送版ではあるが、『リターンズ』との大きな違いは「オリジナルソースからのデジタルリマスタリング製作」「できるだけ完全な形での再放送」「D陣(主に嬉野)による再編集」の3点で、初期の企画では2002年1月以降に本放送で導入されたフォントによって、新たにテロップの挿入が行われている。音声はレギュラー放送時代の企画はモノラル放送(モノステレオ)になっているが、2004年以降の新作はステレオ放送で行われている。—Wikipediaより

その、どうでしょうClassicの時間帯に、もしも自分たちのCMが流れたなら—道産子として「こんなに嬉しいことはない」と、私の中のアムロが呟いたのがつい先日。

かなりダメ元で、Twitterで呟いてみたのだ。テレ玉の中の人がエゴサーチをしているかなんてわからないし、そもそも私の要求がそんなに簡単に通るとも思えない。間違いなく人気コンテンツの放送時間帯であるはずだし。

けれど、その「ダメ元」が叶ってしまったのが昨夜のこと。

どうでしょうClassicを見ていたら突如流れた自分たちのCMに、私は再びアムロの台詞を呟いた。「こんなに嬉しいことはない」。

つい「浦和ってどっちの方角にあるっけ…」と、ベッドの位置を確認してしまった。

(テレ玉は浦和にあるのだ。)

「ただそれだけのこと」と言われれば、それまでだ。

けれども私には、とても大きな出来事だった。

私はめちゃくちゃ相原求一朗に詳しい人間では無い。けれども、求一朗が結果的に成し遂げたことに、私は強烈な憧れを抱いている。

さて、ちょっとここで、一人の画家についてのお話を致しましょう。彼の名は相原求一朗。大正7年に川越の商家に生まれ、やがて北海道の風景を描くようになる洋画家です。
相原求一朗は前述のとおり、商家の長男という恵まれた環境に生まれました。しかし「恵まれた環境」とはあくまで外野の感想、絵の道に進みたかった求一朗は父親の逆鱗に触れ、美術学校への進学を諦め、家業を継ぐことを選びます。
やがて求一朗もまた、兵役に就くこととなりました。彼は旧満州やフィリピンでの戦いを経験します。フィリピンからの帰還途中、搭乗していた飛行機が沖縄沖に墜落し、重傷を負って漂流していたところを命からがら救出される経験すら味わいましたが、この経験が作画への憧憬を更に深めたとも言われています。
戦後は家業を再興させようと努力しますが、やはり絵の道への憧れを諦めきれなかった求一朗。日本橋で開かれていたデッサン研究会に参加し、そこで知り合った大国章夫という画家の紹介で、猪熊弦一郎に師事する運びとなります。
そこから求一朗の画家としての人生は、大きく拓かれてゆきました。
順調に見えた求一朗の画家人生でしたが、だんだんと制作に行き詰まってゆきます。そんなさなかの1961年、求一朗は北海道に写生旅行に出掛けました。そして北海道の壮美な風景に―自身の原風景とも感じる景色を見、絵画制作への糸口を見つけるのです。
以来、生涯にわたり北海道に足を運ぶこととなる求一朗
1996年には北海道河西郡中札内村に、相原求一朗美術館が開館します。その3年後の99年、求一朗は80歳で亡くなりますが、2002年には故郷である川越に、求一朗の自作が寄贈された川越市立美術館が開館するのです。
…と、画家への夢への扉を閉ざさず、時間を掛けてその夢を叶えた相原求一朗の人生を大まかに語ってみましたが、相原求一朗美術館のある北海道の中札内村は、実は川越との姉妹友好都市盟約宣言を交わしているのです。

これらは私が以前書いた記事の中から引用した文章だけれども、なんとなく相原求一朗という人のことを、理解していただけただろうか。

相原求一朗とはつまり、北海道(中札内)と埼玉(川越)を繋いだ人だ。

恐れ多くも、おこがましいと言われようとも、この私も求一朗の様に、北海道と埼玉を繋ぐ存在でありたいのだ。

だからこそ、どうでしょうClassicの合間に自分たちのCMが流れたことは、そんな目標の為の第一歩となった様に思えた。

すごく、すごく嬉しかったのだ。

…ということで、私みたいな例もあるので、ダメ元でもまずは言ってみる、ということには大きな可能性が秘められているんじゃあないかと思う。

勿論、口にしたことすべてが叶っているわけではない。寧ろ、叶わなかったことの方が多かった気もする。

けれどもこのどうでしょうの件についてはきっと「口にしなければ叶わなかった」—そう思う。「願いごととか目標は公言した方が叶う」という話の、とてもいい例ではないだろうか。

だから、この記事を読んでくだすったあなた様にもしも、どうしても叶えたい願い事があると言うのならば。

是非、口にしてみて欲しい。

あなたの願いが、どうか叶います様に。


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