見出し画像

イノセント ワールド

初めて出逢ったのは確か、高校生の頃だ。

蜷川実花さんの撮る写真の表紙があんまり綺麗で、それについ惹かれて古本を買ってみたら、中身はけっこうセクシャルな内容で、私は「おお…、」と見知らぬ世界観に戸惑った。

桜井亜美の小説に初めて触れた瞬間だった。

彼女の作品のひとつ「イノセント ワールド」の「知的障害のある兄との性交」という内容に、私はなんだか前世での記憶でもかき混ぜられたような気持になった。否、おそらくそんな前世は持ち合わせていないし、そういう経験も無いのだけれど、「知的障害があって美しい兄」というそのモチーフは、とうの昔に亡くなった私の兄の姿そのものであったからだ。

厳密には、うちの兄は小学二年だかで死んでいて、しかも私の生まれる前に天に召された存在だ。だもんで彼が青年になった姿を、この世の誰も知らない。只、我が家どころか親戚の家じゅうに遺されていた写真の中の兄は、本当に本当に美少年そのものだった。そこら辺のおむつのパッケージにプリントされた赤ちゃんに、更に輪をかけたくらいに。

別に近親相姦欲は無い、と思うけれど、私は会ったことのない兄に対して相当なブラコンだった。兄が死んだから私を作った、という日本における一人っ子政策下にあった我が家で、私と兄が同じ次元に存在することはあるはずがなかったけれど、それでも私は、大人になった兄は相当うつくしかったに違いないと信じていた。何かがあれば、神様と同時に「お兄ちゃん」に祈った。

兄のことを知りたかったのもあって、障がいについてもそれなりに学んだ。兄の障がいはおそらく、発語の機会をほぼもたらさないまま彼を大人にしたに違いない。それでも、兄が生きてさえいてくれれば私は、この残酷な世界に生まれ落ちる必要もなかったこともあって―私は、兄に生きていてもらいたかったと嘆いた。私の代わりに、家族の間で無邪気にしていてもらいたかった。

そんなこんなで、桜井亜美がいきなり私にぶちまけてきた世界観は、あっという間に私を飲み込んだ。

たとえばグループ売春だなんて、教室の片隅で悪口を浴びせられている私には縁遠いものだったけれど、それでも私の中には、桜井亜美の書く、たとえば渋谷を歩く少し病んだ女の子の姿が、パラレルワールドの自分みたいに浮かび上がっていた。彼女らは私の知らない価値観で簡単に脚を開いていた様に見えたけれど、だんだん私は、その根底にある「寂しさ」みたいなものはけして私から縁遠いものではなく、寧ろきっと私のものと同じ色をしているような、そんな気がしてきたのだ。

当時の私は本当に、いろんなものをよく読んだ。そしてスポンジみたいに吸収した。私に優しくしてくれた友達の一人もまた読書家で、彼女と競う様にしていろんな本を読んでいたから、私は今でも彼女に本当に感謝している。そのおかげであの多感な時期に、本からいろんなことを学べた。彼女は桜井亜美よりももっと穏やかな作風を好んだので、私とは違った大人になっているに違いない。確かどこかの私大の文学部に進んでいた気がする。

小樽という、学生の絡んだ性犯罪なんてそうそう起きなさそうな小さな街の片隅で、イキったってせいぜいカレシカノジョとヤったと自慢する程度の、そんな青い鼻水を垂らした子どものコミュニティの中で私は、本の中にある「別の世界」、けれども現実の東京ではもしかすると本当に起きているかも知れない―そんな物語を、吸い込んでは心の中に溜めていった。もしも目の前のクラスメイトが「そういうこと」をしていたら汚いと思うかも知れない。けれどもすべては、現実にありそうだけれど実際には見えない―それこそ「知的障害があって美しい兄」の様な存在で、私は、見えない世界に想いを馳せた。

桜井亜美の本は、だいぶ読んだと思う。けれども大人になるにつれて、気づけばすべてを手放していた。大人になった私はとっくに小樽を出て、それこそ東京も、渋谷も知ってしまった。「現実にありそうだけれど実際には見えない」の一部分を私は、その目で「見て」しまったのだ。だからこそ、本については手放したのだと思う。

ただ、今になってふと、私の書くものには桜井亜美の影響が大きく出ているような気がして、私は「そりゃあそうか、」と可笑しくなる。

宮沢賢治を好んで読んで、星を好きになるのと一緒だ。梶井基次郎を読んで、檸檬爆弾のまねっこをしてみたくなるのと、一緒だ。

ぐっちゃぐちゃになってどれだけ傷ついても、それでも人を好きになって、たとえ人とは違う生き方をしてでも、求める幸せにありつきたいと願うのは—高校生だった私に桜井亜美が与えてしまった、小さな世界のせいなのだから。


一週間くらい前に書いた記事です。今日は疲れたのでこれをUPします( ‾᷄꒫‾᷅ )

頂いたサポートはしばらくの間、 能登半島での震災支援に募金したいと思っております。 寄付のご報告は記事にしますので、ご確認いただけましたら幸いです。 そしてもしよろしければ、私の作っている音楽にも触れていただけると幸甚です。