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フルーツケーキは嘘なんかじゃなかった

はるか大昔に私が幼稚園児だった頃、たとえば空になった食べ物のパッケージや色紙なんかを使って、お菓子の工作をするという授業があった。
空き箱に白い紙を貼って、赤い紙を丸くしたのを乗せてショートケーキ!みたいな感じの工作だ。

以前も記事に書いたことがあった記憶があるけれど、いつ書いたどんなタイトルの記事だったか失念したので引っ張ってこられなかったが、私はその当時の担任の先生に妙に嫌われていた。
だもんで、その日に作ったものも「違う、そんなんじゃあないでしょ」的な判断をされて、先生が適当に作ったものを私の作品と勝手に差し替えられてハイできあがり!にされた—のを、三十年以上経った今になって私は、ふと思い出してしまった。

それは、私にとってまごうこと無きフルーツケーキだったのだ。

私はその日、茶色い色紙を四角く切って、その上に細かく切ったカラフルな色紙を貼り付けたものを「フルーツケーキ」と言い張った。
そう、先生にはきっと、せめて飾りのついた羊羹とでも言えば信じたものを、この問題児はわざわざフルーツケーキだなんて言い張るのだ—なーんて思われていたに違いない。

先生は、カップラーメンの容器か何かを逆さにしたものにプリンみたいな配色で紙を貼り、一口ゼリーの空の中に赤い紙を仕込んでまるでイチゴみたいに似せたものを乗せて、それを「フルーツケーキ」とし、私の「フルーツケーキ」と差し替えたのだ。今考えるとそれ、ケーキっていうかプリンだろうよ、だが。

幼心に私は、この先生の意地悪さと、大人に立ち向かってもどうせどうにもできないことを悟っていた。
だからその場で諦めたのだ、自分のフルーツケーキを、間違いなくフルーツケーキなのだ!と立証することを。

↑これも同じ先生による記憶のひとつだ。

さて、こんなことを思い出したのは、先日宝島チャンネルで安くなっていたアンドロージーという雑誌を買い、その記事を読んでいた際に見つけた、とある掲載商品がきっかけだった。

トゥー フェイスドというブランドのクリスマスコフレが「フォビドゥン フルーツケーキ ミニ アイシャドウ パレット」というもので、

どうもアメリカの伝統的なフルーツケーキからインスピレーションを得た商品、みたいな感じらしい。
…フルーツケーキ?
あ、これだったのか、私があの時フルーツケーキとして工作で作ったものは…!!
一気に記憶が蘇った。幼稚園児が無い知恵を搾って再現しようとしたフルーツケーキは、アメリカのクリスマスではちょっと嫌われものですらあるという(美味しそうに感じるけどなあ)、茶色い生地にドライフルーツがたーんと入った海外のスイーツだったのだ。

どうして幼稚園児だった私がそれを知っていたかはナゾだけれど、おおかたテレビで仕入れた知識だったのだろう。

なんだ、私の作ったのだって、ちゃあんとフルーツケーキだったじゃあないか。
三十年以上経ったけれども、やっとあの頃の私が肯定された気がしてなんだかとても嬉しかった。
そして、前職(学童の指導員)に在った頃の私だったらどうしたろうと考えてみて—きっと自分なら真っ先にその「フルーツケーキ」について調べてみるんだろうな、なんて自負も抱いた。
子どもを疑うんじゃあなく、この子の表現しようとした「フルーツケーキ」とはいったいどんなものかを、私なら自分から調べにいったはずだ。
そういう自分が私の中に存在することが、私はなんだか嬉しくなった。

私は、そんなに嫌な大人にはならずに済んだのかも知れない。

それを知れたのだから、あの先生の意地悪さもまあ、時を超えて役に立ったのだとしよう。ありがとさん、先生。


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