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名もなき詩

あの日、あなたが私に何を歌って聴かせたか、私はすっかり忘れてしまっていた。

だってもう十年以上昔のことだもの。確かに、幼稚園の頃に好きだった人はユースケくんだったとか、そういう妙な記憶は残っていたりするものだけれど、あなたと過ごしたあの一日のこと、私はね、きっと—忘れてしまいたかったの。だから無理矢理、私は記憶のフォルダからあなたのことだけ削除しようとした。でも、バグってしまって部分的にしか、あなたのことを消せなかった。

私はえらく時間をかけて、あなたの存在が無くとも生きてゆけるように自分を調教した。おたる水族館の「言うことを聞かないペンギンショー」って知ってる?私も最初は、あのペンギンさんたちみたいに言うことを聞いてくれない自分に、それは辟易したものだった。

でも、不思議なものね。十年という時間が徐々に私へ、荒ぶる私の手綱を上手に握る方法を教えていってくれた。そうやって私は次の恋も、次の次の恋も展開させられた。あなたの面影を心の中に見つけない日も増えていく。そうしてそれが、私の日常へと変わっていって—只、私は時折ものすごい孤独感に苛まれて、あなたのことをふいに思い出し、ああ優しかったな、愛おしかったなって、涙を零した。

そんなある日、カーステレオでつけっぱなしにしていたNACK5の番組の中、誰かがリクエストした曲を耳にした瞬間—私の中でさらさらと進んでいたはずの砂時計が、ぴたっと止まった様な錯覚を覚えた。

それは、Mr.Children「名もなき詩」という曲だった。

「あ、」と短い声が出た。すべて、思い出してしまったから。

あの日、あの公園の芝生の上で、あなたが私に歌って聴かせたはずの楽曲が、ラジオの電波に乗ってほんの少しガサつきながら、私の車の中をまるで—それこそあの日のあの芝生の上へ強引にタイムトラベルして、私をあの時の中に引き戻してしまいそうだった。

きっと安物の、銘も覚えていないアコギ。くたっと使い古された黒いギターのソフトケースと、日曜の穏やかな昼間に降り注ぐ、五月の光線。遠くで子供が走っているのを、母親が呼び止めようとする声。そして、私に向かって「名もなき詩」を聴かせるあなた。

どうして忘れてしまっていたのだろうね、忘れてしまいくらい、愛おしい記憶だったのかな。

曲の最後、私はその、まさにラスト部分の歌詞に思わず涙した。これから夕飯の買い物なのに、もしもアイメイクが落ちてしまったらどうしてくれるの?、そう思いながらもつい嬉しくなって、けれどもとても切なくもあって、いっそこのまま泣き崩れてしまいたかった。

タイムトラベル、してしまった方がきっとラクだったのにね。でも実際は、もうすぐ寿命が来るであろうこのスピアーノという軽自動車は、ちゃんと埼玉のアスファルトの道を走っている。この車ではけして、あの芝生の広い公園のあった遠く離れた街には往けない―往けないんだよ。

私はせめて近くのコンビニに車を停めると、五分だけ、と呟きながら、そこでただただ涙を零し続けた。

もしも—もしも、私が求めたならば。

今でもあなたは、私に「名もなき詩」を歌ってくれますか…?



今日の「 #曲からイメージして書いたよ 」は、もう説明は要らないとは思いますが、Mr.Children「名もなき詩」です。そしてスピアーノはうちの先代の車…大好きでしたが、寿命で(´・ω:;.:...

先日、Twitterで桜井さんのこちらの言葉をお見かけして。

「わかる…!わかります!私もそんな塩梅であなた様の曲からイメージして小説書いてます!!!!」と、一人で燃え上がって舞い上がってしまいました(゚∀゚)

桜井さんもきっと、神様だと思うんだ。



数日前に書いたものです。
ちょっとバタバタしてるのでそのまま載せますが、おかしなとこあったらごめんなさい!

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