見出し画像

【関東三大祭】川越まつりについてざっくりまとめてみた【とうとう今週末】

今週末に迫った十月十九日・二十日、私の所属するメタルバンド・ThickFogがホームとしている埼玉県川越市にて、関東三大祭のひとつ・川越まつりが行われます。

画像2

そんな川越まつりについて、私なりにざっくりまとめてみました!

東京駅から電車で約一時間半、池袋駅からは急行で約三十分、川越の魅力は首都圏からなら「思い立ったらすぐ行ける」、そんなところにもございます。

この記事を読んで「じゃあ、週末はちょっと川越まつりにでも行ってみようかな?」、そんな風に思っていただくことが出来たなら幸甚です。


:*゜..:。:.::.*゜:.。:..:*゜..:。:.::.*゜:.。:..:*゜..:。:.::.*゜:.。:..:*゜:.。:..:*゜..:。:.::.*

【川越まつりの歴史】

川越祭りは、慶安元年(1648)に当時の川越藩主・松平信綱が、川越の氷川神社に神輿や獅子頭、太鼓等を寄進し、祭礼を奨励したのが始まりと言われています。

この「慶安」という元号に改元されるに至った経緯ですが、その前の元号「正保」が「焼亡」につながると批判が起きた為だったそう。

6年前の1642年に寛永の大飢饉も起きていて、今以上に国内がゲン担ぎに期待を込めていた、そんな時代だったのやも知れません。

そもそも祭りとは、感謝や祈り、慰霊の為に、神仏や祖先をおまつりする儀式として伝承されてきたもの。獅子舞も悪魔祓いの行為とも言われています。今の時代とてお祭りはとても大切にされていますが、私達が考える以上に、江戸の時代では「祈り」の部分が強いものだったことでしょう。それが「慶安」への改元の件からも想像できます。

そんな慶安元年の江戸幕府将軍は徳川家光。江戸幕府が長く続いたのはこの人の功績が大きいとも言われているそう。そんな偉大な将軍様が、江戸の北の守りとし、選りすぐりの人材を抜擢し置いていたのが川越の地。松平信綱もまた、島原の乱を鎮圧した経歴を持ち、ようく民を案じる良き藩主でありました。

信綱は家光付きの小姓(武将の身辺に仕え、諸々の雑用を請け負う少年。武士の役職)でした。ある時、家光の父・秀忠の寝殿に雀が巣を作り、そのヒナを家光が欲しがったそうです。さて、小姓の信綱が代わりに夜の寝殿にこっそりヒナを取りに忍び込みましたが、あっさりバレてしまい、信綱少年は秀忠によって大きな袋に閉じ込められ、罰としてそのまま柱に縛り付けられます。しかし信綱はけして「家光に言われてヒナを取りに来た」とは白状しませんでした。そんな信綱の様子に主君への忠義を感じたのは、家光の母・江。江は「信綱は成長したらきっと、家光のこの上ない忠臣となるでしょう。」と信綱少年を評したそうです。

そんな逸話が残るほどの家光の忠臣であった松平信綱は、川越まつりでも旭町三丁目の山車人形(山車の上に飾り、担いで運ぶもの)に抜擢され、祭囃子と共に川越まつりを彩っています。是非、信綱の山車を見つけてみてくださいね!

※2019年10月20日追記:ごめんなさい、今年は信綱の山車はお休みだったみたいです。また来年以降が楽しみですね!

:*゜..:。:.::.*゜:.。:..:*゜..:。:.::.*゜:.。:..:*゜..:。:.::.*゜:.。:..:*゜:.。:..:*゜..:。:.::.*

【山車とお囃子】

さてここからは、ユネスコ無形文化遺産にも登録された、川越まつりの山車巡業についてお話します。

画像1

そもそも「山車」とは何か。

「山車(川越では「だし」と呼びます)」は、祭礼の際に引いたり担いだりする出し物のことを言います。昔は山の様な形をしていたからその字が使われた、とも言われている様ですね。

「だし」という名前の由来は、

寝殿や境内の外に出す「出し物」だから or 依り代である髯籠(竹や針金で編み、編み残しの端をヒゲの様に延ばした籠)を出していたから

という二つの説があるそうです。

人形も山車の話抜きにしても依り代とされていたりもしますし、神域(神社の境内)をも依り代と呼んだりします。また、川越と同じタイプの山車の前面はお囃子を奉ずる場所、後方は神様がいらっしゃる神域と区別されているそうなので、話を総合すると、

依り代である髯籠を出していたから「だし」→「神域」を街の中で引いて回るから「山車」も「だし」と呼ぼう!

…という流れだったやも知れませんね(あくまで私の想像です)。

そして、山車の上で演奏される祭囃子

川越のお囃子の源流は、江戸の葛西囃子。葛西囃子とは、神田囃子などの祖とされています。川越ではその葛西囃子が、以前から存在していた地元の里神楽と合流して古囃子として大成したそうですが、神田囃子と繋がっているからか、Youtubeで「神田 山車」で検索すると、川越まつりの山車とよく似た山車の動画を見ることが出来ます。小江戸に流れる江戸の歴史を感じられ、改めて川越が「江戸の北の守り」であったことを実感します。

そう、山車と言っても地域によっていろいろ違ってきます。

例えば、同じ埼玉県の秩父市の笠鉾(かさぼこ)と呼ばれる山車なんて、川越にはまったく無い姿をしています。これは秩父まつり会館で撮ってきた笠鉾の写真です。

画像3

(私、笠鉾の華やかさも本当に大好きです…!)

あとは、お囃子に舞い手(踊り)の存在があるか無いかも、それぞれの土地によって違ってきます。お囃子自体も○○流、といろいろあるので、埼玉県の越生町の囃子連に長く居た、山車大好き!なうちの夫・ZAKI↓も、

画像4

/川越の囃子連は、俺の居た囃子連と全く同じお囃子やる所は僅かだよ!\

と教えてくれました。ちなみに、神田で聴いたお囃子には越生とほぼ同じものがあったとか。でも、どのお囃子を聴いても嬉しくなっちゃうみたいです。

そんな魅力たっぷりの山車ですが、今年の川越まつりでは全18台が巡業します。

「前に他所で山車を見たことあるしなあ、」という方も是非、川越の山車を見に来て頂けたら嬉しいです。「川越の山車は雅さを感じる」、とZAKIも申しておりました。「力強さを感じる祭り」「奇祭と呼ばれる祭り」など、日本には大小様々いろいろなお祭りがありますが、「雅な祭り」を味わいたいならば是非、川越へ。小江戸に残る古き良き街並みとお祭りの相俟ったそのうつくしさに、とことん魅了されること間違いなしです。

:*゜..:。:.::.*゜:.。:..:*゜..:。:.::.*゜:.。:..:*゜..:。:.::.*゜:.。:..:*゜:.。:..:*゜..:。:.::.*

【お家で川越】

今年もカワゴエ・マス・メディア様が、Youtubeでの川越まつりのライブ配信を行ってくださいます。これ、本当に素晴らしい試みだと思うのです。だって、山車に直接カメラが搭載されてるんですよ…!

また、川越市ではふるさと納税による支援も受け付けています。先日の台風災害への支援に関し、もしも「直接川越に届くようにしたい!」とお考えいただいているかたがいらっしゃいましたらば、ふるさと納税という方法がございます。ご一考いただけましたら幸いです。

:*゜..:。:.::.*゜:.。:..:*゜..:。:.::.*゜:.。:..:*゜..:。:.::.*゜:.。:..:*゜:.。:..:*゜..:。:.::.*

長くなりましたが、いかがでしたでしょうか?

今週末、川越でお待ちしております。皆様と、最高の川越まつりを楽しめますように。

画像5

↑去年撮った、喜多町の秀郷の山車人形と私。


参考資料

川越まつり公式サイト

川越市旭町三丁目 信綱會

WEB歴史街道

wikipedia、コトバンク


※間違い等ございましたら、コメント欄でご指摘いただけましたら幸いです。自分で気づいた箇所はちょこちょこ修正しています。どうかご了承くださいませ。

この記事が参加している募集

頂いたサポートはしばらくの間、 能登半島での震災支援に募金したいと思っております。 寄付のご報告は記事にしますので、ご確認いただけましたら幸いです。 そしてもしよろしければ、私の作っている音楽にも触れていただけると幸甚です。