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秋祭りの時期、「祭り」について思いを巡らせた

プロローグ


3年ぶりに川越まつりが行われた。

以前は仕事の休みを取ってまでして満喫していた川越まつりだけれど、今年、我が家ではYoutubeでの生配信視聴に留まっている。
(注:この記事を書いている10/16現在。)

何故なら、人手不足すぎる我が職場から「頼むから人出の多い所に行ってくれるな」というお達しが出ているからだ。
おわかりいただけるだろうか、つまり「行動制限」というのは(私的なところでは)未だに終わっていなかったりする。ウチだけじゃあ無いだろう、きっと。
それを察してくれている部分もあるのか、川越だけにとどまらず、いろんな街の祭りライブ動画が公開されていて、なんとなく流しておくだけでも面白い。

「祭り」マウントを取られたこと

さて、もう数年前のことになるけれど、当時は某SNSでつながっていたとある人から、ちょくちょくマウントを取られていたことがある。
おそらく本人から言わせてみれば「被害妄想」とかって一蹴するに決まっている。が、長年マウントされがち人間として生きてきた私には、そういった言い逃れは通用しない。気配でわかるものだ。

その人の居住地はとあるでかい祭りの文化があり、やはりその人もその祭りを大切にしていた。それはいいことなのだ。いいことなのだけれど、その人に関してはわりぃR〇LANDみがあったというか、つまり「ウチか、ウチ以外か。」という見方を世の中に向かってしている人だった…と、少なくとも私は感じている。

ある時、うちの夫の出身地である埼玉県は越生町での山車の数え方だったろうか、そういったものについて投稿した際に、件の人から「ウチとは違いますね!」的なコメントを受けた。
それがその人からのコメントではなく、純粋に「その土地土地によって違うんですね、興味深いなあ」的なニュアンスの感じ取れる空気があったなら、そう素直に受けとめられたのだ。
けれどもいかんせんその人からのコメントだったゆえ、私はすぐに「あ、」という違和感を覚えた。
ウチか、ウチ以外か。」が発動したんだ―私の中の警笛が鳴った瞬間であった。

ここで蛇足ながら説明しておくと、越生町の祭り文化は「文化・文政」の頃から続くとされる、がっつし歴史のあるものだ。
(参考資料:越生観光ナビ)
けして他所から小馬鹿にされていい祭りではない。
否、他所から馬鹿にされていい祭りがあるとも思わないが—。

それ以降も別件でのマウントが続いたことから、私はその人のフォローを解除した。まもなく、相手方からのフォローも外れたと記憶している。

「祭り」はマウントの道具なのか?

それ以降、私の中で「祭りとは」という議題で脳内会議が催されることもたびたびだった。
(「すごいよ!!マサルさん」をお好きな方ならわかってくださるだろう、つまりあれだ、マサル会議みたいなものだ。)

たとえば飯能まつりだと「こっちの方がもっとよく見れるよ」と言って、山車に携わっている人が勧んで観客よそものへスペースを用意してくれたりもする。
そういったあたたかな気持ちを感じられるのが好きで、私は飯能まつりが特に「推し祭り」のひとつだった。
飯能まつりは語弊を恐れずに申し上げますに、「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損々」を山車のお祭りでやってくれているところがあるんじゃあないかと思う。
私はこの「踊る阿呆に見る阿呆~」という言葉が好きで、以前に曲の歌詞の中に一部、含めたこともあるくらいだ。

とはいえ、実際に祭りを運営するのはその土地の人々であって観客よそものではないことも重々承知だ。
今回の川越まつりでも、運営の中枢部分にいらっしゃるであろう方が、おそらくコロナ対策との兼ね合いなんかでとてもとても苦労しているご様子で、察するに3年前とは違う想いを抱かれながら祭りを成功させようと努めていらっしゃるそのお姿に、ただただ頭が下がる。

だからこそ、だ。
おそらくは「踊る阿呆に見る阿呆~」精神でもなく、少なくとも胃を痛くしながら祭りの為に努力しているでもないであろう人に、「祭り」というそもそもは「神事」だったりすることをマウンティングの道具として扱われることは、観客よそものとしても気分が悪いのだ。

私の地元では神様がトラックに乗った

ところで私の地元である北海道は余市町では今年、コロナ対策の一環としてお神輿がトラックで運ばれた。

おそらく、前述のマウント取りたい氏からしたら失笑ごとであろうと思う。

けれども私からすると、引用したツイート通り「神様、楽しかっただろうなあ」が正直な感想だ。
人の手で担がれるのもいいけれど、神様だってたまには自動車に乗りたいだろうと思うのは、私だけだろうか?

埼玉県内にも存在しているので、けして地域限定というものではないが、例えば札幌まつりの山車はゴムタイヤを着けている。
それを「山車にゴムタイヤ?」という違和感をもって見ている人も実際、身近に存在した。
生まれ育った町では山車の出る祭り文化がとっくに途絶えてしまっていた身からすると、いまいちそのゴムかどうかを気にする感覚を理解しがたい。
ただ私の肌感覚として、マウント取りたい氏はゴムタイヤの山車もお神輿を車で運ぶことも「ありえない」と嘲笑わらうことだろうと感じる。

「同じ阿呆」から感じる「祭り」への愛

でも、だ。
どの自治体のどの地域の祭りだって、仮にどれだけ規模が違おうが、楽しみにしている人にとっては同じ「祭り」に変わらないのだ。
「踊る阿呆に見る阿呆~」を持ち出すならば、結局は皆「同じ阿呆」だと言えるはずだ。
言葉で、というか単語でだけ見れば「阿呆」と言うとちょっと乱暴に聞こえるかもだが、Wikipediaを読むと「阿呆」は中国(国名のほう)の一部では「おばかさん」的なかわいらしい意味合いで使われるようだし、そもそも関西では「阿呆」よりも「馬鹿」のほうが侮辱的に取られる場合もあるそうだ。
その「馬鹿」という言葉で考えれば「釣りバカ」みたいに何かに夢中のさまを表すのに使われたりする。
そんな「馬鹿」の類語という線上にある「阿呆」なのだから―と、ここまで噛み砕いていけばやはり、「踊る阿呆に見る阿呆~」に込められた、祭りへの愛を感じ取ることができるだろう。

「祭り」を通してわかった地元の良さ

さて、川越まつりの夜にふと、自分にとっての「祭り」の記憶を呼び戻したとき、私の中に浮かんだのはこんな塩梅だった。

「なんか美味いもんめっちゃ食った」

…こんな記憶の残る道産子は、少なくないんじゃあないかと思う。

勿論北海道にだって、たとえば古平町「天狗の火渡り」みたいに有名な神事もある。

私自身、実際には音楽隊だったり吹奏楽だったり、もしくは学校規模でパレードに出た、という「祭りの記憶」もあるんだけれど、なんやかんや「なんか美味いもんめっちゃ食った」という記憶の方が強かったりする。
もしかすると地元には「味覚の祭典」があるくらいなので、そういった影響もあるかも知れない。

(子どもの頃は「味覚まつり」と呼んでいた覚えがある。)

でも、なんやかんや「なんか美味いもんめっちゃ食った」という記憶は、幸せであたたかなものだ。
親戚同士で集まって庭でジンギスカンをやったり、友達と屋台を食べ歩いたり。
そういった「誰かと過ごす特別な時間」であることは、たとえば絢爛豪華な山車祭りと「美味いもん食った」祭り、両者ともその点では一致する。
勿論神様への神事という面も大きくある(というか元はそれか、)祭りではあるけれど、神様への最大の捧げものというのは何よりも「そこに集った人々の笑顔」なのではないだろうか。
私は大して宗教に明るくはないけれど、少なくとも日本の八百万の神様の大半については、民衆の喜ぶ姿を嬉しがってくださる、そんな神様ばかりである様に思っている。

だから、つまり、私の地元の「なんか美味いもんめっちゃ食った」祭りだって、当たり前だけれども充分、素晴らしいのよ。
「食は幸せ」と検索したら、もうほんとめっちゃそういう名言を残している人たちがずらりと出てくるもの。
地元に上手に馴染めなかった私は、一時期は地元とわざと疎遠になってまでもいたけれど、やはり離れてみてわかることというのもあって、その一つがこの、祭りを通して見えてきた地元の良さだった。

私は、美味いもんを食えた地元のおだやかなお祭りが、今はとても愛おしい。

エピローグ

さて、この記事を書き始めてから一週間くらい経ってしまった。
正直、途中で、公開するかどうかすら迷う部分もあった。
いかんせん私は、件の人によってやや「お祭りこわい…」という気持ちにもさせられていたからだ。
絢爛豪華な祭りと比べれば、私の地元のお祭りが頗る地味に見えるであろうことにもコンプレックスじみた思いを抱いていた。

けれど、今は違う。
書いている内に整ってきた部分もある。

金子みすゞさんの言葉を借りて、この記事をしめようと思ったものの―彼女の作品は著作権が頗る難しい扱いにあるようなので、この記事を読んでくださっている方ならばきっと、あの有名な詩の一文もご存じであるだろうと、そう勝手に願いながら筆を置きたいと思う。


#とは


自分のバンドには他にもお祭りをモチーフにした楽曲があるので、良かったら聴いてみてくださいね。




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