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マルチタスクな人生

マルチタスクが得意な人と、苦手な人がいる。

一般的には女性はマルチタスクが得意だけれど、
男性はそうでもない、と言われる。

私は京都、軽井沢、東京と生活拠点が3つあって、
それぞれに観光、教育、映像、という全く異なる仕事をしているので
比較的マルチタスクが得意な方、なのだと思う。

大量破壊兵器について英語でリサーチをしながら、
琵琶湖疏水のクルージングの予約をしたり、
お寺の和尚さんとの食事会に持って行く料理を作りながら、
冬に開催する教育プログラムのために、
英語が話せる看護師を探したりしている。

最近ちょっと思うのは、
人間関係もマルチタスク的に捉えてないだろうか、ということ。

昔からだけれど、私には「この人しかいない」という親友がいない。

友達は多いほうだと思うけれど、
親友は誰ですか?と聞かれて即答できる存在がいない。

そのときそのときの恋人を、
親友のように捉えてきたけれど、
ここ数年デートする男性は複数いるけれど、
exclusiveな恋人はいない、という状況なので
相変わらず「親友」と呼べる人はいないのだと思う。

ある男性に、
「あなたの一番手は荷が重すぎる。
二番手くらいが僕にはちょうどいい」と言われた。

彼の解釈に自分でもとても納得してしまうところがあったのだけれど
エネルギー量が極めて高いわたしを
受け止められる人はそうそういないことを
自分でも理解している。

そうなると男性との関係性も
マルチタスク的にいろんな関係性が存在するようになり
夜ご飯を共にする人、
映画を観に行く人、
仕事の相談をする人、
刺激をくれる人、等々
わたしのいろんな側面を
それぞれに受け止めてもらうしかなくなってくる。

自分なりにこの現象を分析してみると、
他人に比べて愛情過多なわたしは
仕事に対しても、
友人・恋人に対しても、
エネルギーが向きすぎてしまい、
結果、愛情や情熱が執着に変わってしまう傾向がある気がしている。

その結果、
情熱を持って取り組んでいた仕事ほどストレスフルになり、
愛情を持って接していた人ほど程よい距離を保てず、
上手くいかない、という結果を招き、
その辺をある程度、経験で学んだいま、
あえてマルチタスクな人生を選んでいる、ような気もしている。

車に乗せてもらって
それはそれは綺麗な夕陽を見た。

運転中の彼はマルチタスクが苦手で、
駐車しようと車を操作している間、
わたしの声はほとんど聞こえてないみたいだった。

マルチタスクできないことを
彼はとても申し訳なさそうにしてたけれど、
私にはそれがとても尊く思えた。

目の前の一つのことに
誠実に向き合っている。

そんな風に見えた。

わたしもそんなふうに一途になれるのか。

仕事はともかく、
そろそろひとりの人と向き合える関係性を築きたい。

自分が自分らしくいられて、
でも自分のエネルギーで相手を圧倒させない、
そんな関係性を築くにはどうしたらいいんだろう、と悩みながら、
今日もマルチタスクなわたしの一日が待っている。







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