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すべてはベストタイミング、その真実について

こんにちは。
お転機ですか?
世の中には、たくさんのお転機があふれています。

ピンチ、チャンス、きっかけ、契機・・・。
言葉はどんなものでもいい。
大袈裟じゃないかもしれない、ほんの些細なことかもしれない。
いくつもの小さな出来事の積み重ねの結果かもしれない。

ただ、後から思い返してみれば、あれがきっとそうだったんだなと思えるようなこと。

そんなお転機に、世界はあふれています。



すべてはベストタイミング

「偶然は必然」という言葉を耳にしたことはありませんか?
私がこの言葉をしっかり認識したのは、高校時代の恩師が卒業アルバムに書いてくれた一言でした。

高校卒業といえど、まだまだ未熟な私にとっては、なんだかすごくかっこいい言葉。

なぜこの言葉を私に?と思いつつ、
それまでの様々な出来事も、これからのあらゆる出会いも別れも
すべてを自分の中に取り込めるような不思議な感覚があり
いっちょまえに大人の仲間入りをしたような気分になったものでした。

今、この言葉の重みをズーン…、と感じています。


偶然は必然・・・

出会うべくして出会うもの、という印象のあるこの言葉ですが、人と人の出会いだけでなく、あらゆる出来事に適用されるのだと、思い知らされました。

それは、人それぞれにその出来事に出会うタイミングや克服するタイミングが異なることから気付いた考えです。


同じ年、同じ日に生まれた人は同じ人生を辿るのか?

インターネットが普及したことで、SNSを通してそれまでまったく接点のなかった人たちとも繋がれるようになり、まったく同じ誕生日生まれの友人が数人できました。

何度か会って言葉を交わしたこともありますが、こんなにも違うものなんだなあと思ったことを覚えています。

同じ年の同じ日に生まれたのですから、星占いも同じ項目を見ることでしょう。
生年月日を入力する診断は、同じ結果が出ることでしょう。
同じ文章を読んで、一様に「自分のことだ!」と思うはずなのに、みんな違うんです。

なるほどなあ、みんな違うんだな。
こんなにも共通点があるのに、こんなにも違いがあるんだな。

その違いとは、いったいなんなのだろう?
そもそもどうして違うんだろう?

疑問に思った末に気づいたのは、ひとそれぞれに同じ出来事に出会ったとしても、そこで気づくものが異なるために、その後の道が変化していくのだということでした。

そうして変化していくからこそ、出会う出来事も異なってくるし、その先の道もどんどん異なっていくのです。
となれば、いつどのタイミングでその出来事に出会うのか、異なるのは必然というものですよね。

同じ年、同じ日に生まれたとしても、その人のタイミングでそれぞれの出来事に出会っていくものなのです。


なぜベストタイミングと言えるのか

同じタイミングで生まれたとしても、それぞれのタイミングで様々な出来事に出会うものだということはわかりました。
でも、どうしてそれをベストタイミングだと言えるのでしょうか。

それは、出来事に出会った時に、その出来事をどう見ているかに関係してきます。

私たちは、「今」もしくは「現実」をどうやって捉えているか、知っていますか?
同じ場所にいて、同じ光景を見ていても、その「今」や「現実」の捉え方はひとそれぞれ異なります。
それは、私たちの中が異なるからです。

私たちの中とは、どんな知識や経験を持っているか、どんな考え方や感情を持っているか、どうしたいと考えているかなどの内面にあるもののことです。

その内側にあるものによって、同じものを見たとしても、捉え方が異なるということです。

ここはひとつ、納豆を例にとってみてみましょう。
「美味しそう!」と思う人もいれば、「無理だわ~」と思う人もいます。
ある人にとっては、美味しそうな納豆に見えているし、ある人にとっては食べるなんて考えられない食材に見えていることでしょう。

ね、全然違って見えています。

納豆が好きな人がお腹が空いている時に納豆を食べられる機会が来たら、
「いやっふ~!ベストタイミ~ング!」と思うでしょうね。
つまり、受け入れ態勢ができていると、出会った出来事をベストタイミングと捉えることができるということなんです。

もちろん、この考え方はベストタイミングに関する考え方の一つです。
でも、一つの考え方をきっかけにフラクタルに考えを広げることができます。
受け入れ態勢の構築に役立つのです。

脳の機能の視点に立ってみると、また別の言葉で説明することができるので、そのお話の機会も今後ご用意しますね。

なにはともあれ、受け入れ態勢ができている、もしくはその途上にある、もしくは、その受け入れ態勢の構築に役立つ情報を、私たちは能動的に認識しようとします。

そのため、自分が出来事に「出会ったと認識」したタイミングは、須くベストタイミングだということです。

なんらかの言葉に出会ったタイミング
新たな価値観に出会ったタイミング
出来事に巻き込まれたタイミング

そのすべては、あなたにとってのベストタイミングなんです。
このベストタイミングは、その時に気づくこともあれば、後から気づくこともあります。
例えば、親から注意されて、あの頃はうざったいなと思ったことでも、後から思い返してみれば心配して言ってくれた言葉だったんだと気づいたこともあるのではないでしょうか。

同じ時を過ごし、同じタイミングで同じように同じような出来事を体験したとしても受け取れる準備ができているどうか、どう受け取ろうとしているかによって受け取る情報はまったく異なります。

そこには善悪はなく、どちらがいいとか、受け取れないからダメだとか
そんなものはありません。

それぞれのタイミングで、それぞれのステップだからです。

人はみな平等、という幻想

同じはいいこと……
平等であるべき……

私たちは一斉に小学校に入学し、何人かずつのクラスに分けられながらも、ひとクラス一斉に同じ授業を受け、同じ給食を配られ、同じテストを受けて、同じ評価基準の中で評価されながら生きていました。

そのためなのか、
平等であることへの固執と、人と違うことへの恐怖や非難があるようです。

それなのに、
人と違うことを求められたり
個性的であることを羨ましく思ったり。

きっとそれは、「平等」という言葉の中身を勘違いしているのかもしれませんね。

平等とは、逸脱することを罰するものではありません。
絶対に等しくなければならないルールでもありません。

等しさという言葉の意味を、次のレベルにアップデートするタイミングがやってきたようです。

あなたはベストタイミングで生きている。

すべてはベストタイミング。
私は常々、人にそう声掛けてきました。
その受け取られ方すら、人それぞれだということを理解しながら
いつかその人にとっての良き種になればと願っています。

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