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チャンスを掴み取るには

最近、世の中で「2世〇〇」が目立つのは、日本社会が貧富だけではなく経験の格差も広がってきたことの証明であり、「2世〇〇」に身を委ねることで挑戦をせず保守的になってきていることの表れでもあると思う。最近、そんなことを感じるようになりました。まさに社会主義国家ではないかと言いたくもなるのだけれど、それでも「まだ」まともな人間がいるから「まだ」世界のどの国よりもチャンスは平等にある社会なんだ…と思いたい。

転職活動を開始してからもう1年が経った。いまだに現職に在職中で、現職においては予想以上に悪い状態に追い込まれているような気がしてならない。そんな状態なのに内定が出たけれどお断りして現在に至る。なんやかんやで書類選考は通過し、ごくたまに面接も通過する(最終前までは)通過している企業数以上に落とされている企業数の方が多いですが。周期的にそろそろまた内定も出そうな気配はしているけれど、以前内定が出た企業と比較して「ムムムッ」と構えてしまいそうだ。

「少しでも後悔のない人生をこれからの人生では歩んでいきたい」と面接で語り続けているくせに、もう人生への後悔が生まれてしまっているとは…私はどうしたいのでしょうか。そう思われても仕方のない行動を続けてしまっていると感じています。人生を振り返ってみると「1番を選んだことがない人生だった」と思う。それが影響して「いざっ」という時に決めきれないのかもしれない。「縁」を引き寄せることができるかどうかは、ここが境目なんだろう。

「いざっ」という時が自分の目の前に現れたとしたら、それは「自分自身の努力の結果」または「誰かが助けてくれた」からなんだろう。そんな時に決めきることができないのなら「縁」は引き寄せることはできず「1番を決めること」もできないのは必然。でも…と逆接詞を続けてしまうような人間だから「感情を満たすことができない」ことはわかっているけれど、「決断する機会」に巡り合う機会に欠けたままでは…決断することもできないのではないかと思う。

環境が人に与える影響は大きい

他責的な意味ではなく、自責の念を込めて私はそう思う。「どこで誰と何をしているのか」で人の人生・人間性は大きく変わり、経験の積み方も大きく変化してくる。人はそれをわかっているからこそ努力をし、チャンスを掴もうとし、「縁」を引き寄せて、「自分自身の感情を満たす結果=1番を選択する」ようにしていこうとするものなんだと思う。でも、こんなことを言ってしまうと「他責的だね」「逃げてるだけじゃん」と言われるから、よっぽどのことがない限りこんなことは言わないけれど。

これが現実であり、人間なんてそんなものなんじゃないかって思うのです。

「好きっていいたいんだ」けれど、「いざっ」って時に決めきれなかったことで「縁」が遠のいてしまっただろう。それでも、何とか「新しい道」を見つけて今の閉塞感を打破したいと思う夏のように熱い春のある日の夕方。

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