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『柳田國男全集』の年譜のスキマ②―アメリカで活躍した中世史研究者・朝河貫一との交流

 今回は久しぶりに柳田国男の年譜に関する記事を投稿していきたい。ずいぶん前に下記のような記事を投稿した。

 先日アメリカの日本史研究の基礎をつくった日本中世史の研究者・朝河貫一の評伝『最後の「日本人」―朝河貫一の生涯―』阿部善雄を読み始めた。この本によると、朝河はアメリカを拠点として研究を行っていたが、日本史の資料収集のため1906, 1907年と1917~1919年の2度日本に帰国している。朝河は帰国中に様々な会合に顔を出していたようだが、その中で以下のような興味深い情報を見つけた。

1918年3月13日 ロバートソン・スコッツの店で、ウォーナー、柳田国男、ウィングフィールド英国大使館員らと会食。朝河は「禅と日本人の精神構造」について語り、参会者に感銘を与える。

 現在のところ柳田国男の年譜の決定版と言える『柳田国男全集 別巻1 年譜』を確認したところ、この情報は載っていなかった。ロバートソン・スコッツはこの時期に日本に滞在していた文筆家・ロバートソン・スコットのことだろう。スコットは柳田と何度か旅行に出る、自分の文章の翻訳を依頼するなど柳田と深い交流があった。また、ウォーナーは美術家ラングトン・ウォーナーのことだろう。『柳田国男全集 別巻1 年譜』によると、この会合の前後に柳田のもとを頻繁に訪問していたようだ。

 上記の記述の中で気になるのは、ロバートソン・スコッツの「店」と記載されているところだ。上記に引用した年譜によると、スコットは『新東洋(ニューイースト)』という雑誌を自宅に置いた新東洋社から発行していたため、この場所のことを指しているのだろうか。 

 朝河の日記を実際にみてみたいところだが、私が少し調べた限り翻刻されていない。朝河が所属していたイェール大学に所属されマイクロフィルム化されているようだ。朝河の出身地である福島県立図書館にも、朝河貫一関連資料が所蔵されおりこのマイクロフィルムもあるらしいので本当に調べるのであればこちらで調べられるかもしれない。

 余談だが、『最後の「日本人」―朝河貫一の生涯―』阿部善雄によると、1917年の丁酉倫理会主催の講演会で柳田と朝河が講演者として登壇している。この講演は後に「神道私見」として出版されている。朝河は柳田の講演を高く評価していたようだ。また、柳田は朝河のことを尊敬していたようであるが、出典が明確に記載されていなかった。どこから引用した情報なのかが気になるところだ。

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