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「調査趣味誌」由来記―『斎藤昌三編集『おいら』→いもづる』解題を読んで

 以下の記事で告知したように、今度私の方で雑誌『深夜の調べ』第1号を発行する予定であるが、この雑誌を「調査趣味誌」もしくは「調査研究趣味誌」と名付けた。この名付けに対して何名かの方からいいですね!というコメントをいただいた。一方で、この言葉には「調査」、「研究」というお堅い(ように聞こえる)単語と趣味という柔らかい(ように聞こえる)単語が両立しており、違和感を覚える方々もいらっしゃるだろう。そのため、以下の記事の「創刊のことば」にも記載したが、今一度詳しく紹介したい。結論を先行すると、「調査」や「研究」と「趣味」が連続しており、違和感なく考えられていた領域がかつてあった。

 かつて論じられていた「趣味」と「研究」(注1)の関係性の議論を紹介した本としては山口昌男『内田魯庵山脈:<失われた日本人>発掘』(岩波現代文庫、2010年)が知られているが、最新の研究では『斎藤昌三編集『おいら』→『いもづる』―郷土研究的趣味雑誌の1920~1941年』別巻(金沢文圃閣、2022年)の大尾侑子さんによる解題「「趣味的研究」が紡ぐ絆、または斎藤昌三という中心―『おいら』→『いもづる』復刻刊行に寄せて」がある。この本の書影を以下に掲載しておく。

表紙

大尾さんによれば、斎藤昌三の編集していた『おいら』、『いもづる』に集った人々は趣味人たちは「趣味には研究が必要である」という態度を持っていたという。斎藤は、この態度を加賀紫水の編集した『百人一趣』上巻(土俗趣味社、1946年)(この雑誌も『土の香』総目次の一部で紹介している)に投稿している「浅い僕の百趣味」で以下のように語っている。この文章は戦後に書かれたものであるが、斎藤の「趣味」と「研究」の関係性に対する考え方がよく表れているだろう。

(前略)又蒐集趣味にしても、狭く深くといふ専門的な情熱的なものと、浅くも広くといふ、見るもの聞くもの、悉くを趣味と見るの二種類があらう。/僕などは一二のものは趣味と云へば趣味に相違ないが、情熱的に専念するものは研究も伴ひ、既に一の学問化されているので、結局は趣味から脱した専攻となって居り、然らざるものは浅いものとは承知しつつ、間口だけは相当広いものに発展しているので、人生の潤いといふ美から云へば、究極は浅くも広いのが趣味かなあ、など独り自らを慰めていることもある。(後略)(一部を筆者により現代仮名遣いにあらためた。)

このように斎藤は「趣味」を深めていくと「研究」が伴うため、両者は連続していると考えていた。大尾さんによれば、同時代に三田平凡寺の主宰していた我楽他宗の「趣味を趣味として楽しむ」という態度もあり、斎藤は平凡寺に対抗意識を持っていたのではないかという。

 斎藤が述べている「趣味的研究」の裾野は広く、大尾さんは斎藤とも交流のあった梅原北明周辺の軟派出版界を一例として紹介しているが、蒐集趣味の世界で発行されていた趣味誌も『研究的之趣味雑誌:交蒐』、『純研究趣味誌:京都寸葉』、『趣味の研究的総合誌:趣味蒐集』、『趣味・郷土・研究誌:郷味』、『熊野趣味研究』など「趣味」と「研究」の両方を掲げている雑誌も多かった。このように今では「趣味」と「研究」は断絶したものであるというイメージが強いが、両者が違和感なく両立している世界もあった。

 この態度は、古本や書物趣味、蒐集趣味、一部のマニアの世界に受け継がれていると私は考えている。斎藤からはじまったこの系譜に連なる雑誌として私の発行する調査趣味誌『深夜の調べ』が読まれれば幸いである。

(注1)ここでは「研究」と「調査」を同義として扱い、「研究」と記載したい)

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