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謎の労働運動家・藤井悌の経歴の空白が判明

 昨年投稿した以下の記事で藤井悌という労働運動家に関して紹介したが、以下の記事では1916, 1917年の経歴は分からないと述べた。しかしながら、さらに調べたところ、この空白の経歴を埋めることができた。

過去の読売新聞が閲覧できるヨミダスで検索してみると、藤井の名前が、『読売新聞』1918年1月10日朝刊の「特許局職員」の人事異動を伝える記事に登場する。この記事によると、藤井の前職は長野県理事官であった。国会図書館デジタルコレクションで閲覧できる大正6年(1917年)の『職員録(乙)』(印刷局)を確認すると、藤井は長野県理事官という職にあり、工場監督官という仕事をしていたことが分かる。同じく大正5年の『職員録(乙)』にも藤井の名前が確認できたので、1916, 1917年に長野県理事官を務めていた。その後1918年1月に農商務省特許局へ異動となっている。

 今回藤井が一時期長野県に在住、在職していたことが分かったが、これにより高原評論社という長野県伊奈町にあった組織が発行した『社会思想講和』(高原評論社, 1925年)の発行経緯も分かる。この本の最後に編集した向山敏也により「本書の著者藤井氏は私の学生時代からの友人であって、その当時本郷の古い寺の一室に共に自炊生活をしたこともある」と述べられているが、この関係性だけでなく約2年間長野県の工場や労働者の監督をした藤井の経験があったからこそこの本は出版されたのだろう。

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