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郷土玩具蒐集家・梅林新市の雑誌『郷土風景』批判

 以下の記事で郷土玩具蒐集家・梅林新市が久米龍川が編集していた雑誌『郷土風景』に投稿していたことを紹介したが、梅林はこの雑誌のことをどのように評価していたのだろうか?

以下の記事でも引用した『書物展望』7巻11号(書物展望社, 1937年)に梅林が投稿した「昭和時代玩具誌盛衰記」には、同時期に出版されていた雑誌『旅と伝説』(三元社)と『郷土風景』(後に『郷土芸術』)の評価も記載されている。

(前略)玩具の特集号を毎年一冊発行したものに「旅と伝説」がある。/  昭和三年六月号を郷土玩具号一として西澤笛畝氏の特集として刊行して以来、昨年まで毎年有坂與太郎氏(二号より)特集の玩具号を七冊発行している。(昭和十年)内容のしっかりしたもので、玩具人以外に愛蔵している者が多い。/  これに似たものに「郷土風景」があった。昭和八年一月号、二月号を第一、第二玩具号として発行している。「旅と伝説」の玩具号に比較してあかぬけしない嫌ひがあつた。(後略)(筆者により一部を現在仮名遣いにあらためた。/  は元の文章の段落の区切りを意味する。)

梅林は、民俗学研究、蒐集趣味、旅行趣味が混在していて同じような雑誌であった『旅と伝説』と『郷土風景』を比較して、『旅と伝説』の方を高く評価している。『郷土風景』に関しては、「あかぬけしない」(洗練されていない、素人くさい)と評価は高くない。以下の記事でも紹介したように、民俗学研究者の間では『郷土風景』の評価は高くなかったので、私は蒐集趣味人たちが集った雑誌であると考えていたが、どうやら蒐集趣味人の間でも必ずしも評判が良かったわけではないようだ。

 今回の梅林の評価は一例であるので他の蒐集趣味人たちがどのように考えていたのかは不明だが、この評価の問題は『郷土風景』が忘れられた理由のひとつにつながる可能性がある。もし民俗学研究者だけでなく蒐集趣味人たちの間でも評価が低かったならば、『郷土風景』はどのような人々に読まれて評価されていたのだろうか。

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