見出し画像

近代になって発生する幽冥界ー『先祖の話』柳田国男のメモ

 『先祖の話』柳田国男(『定本柳田國男集  第十巻』(筑摩書房, 1969年)などの収録)は、柳田が初期の方から関心を寄せている幽冥界に関する考察もなされている。この中に興味深い部分があったので、以下に紹介していきたい。

(前略)日本の学会で幽冥道の問題に注意し始めたのは、平田篤胤翁の頃からと、言ってよいほどに新しいことであったが、その多くの人はやはり同じ考へ方に傾いて居た。幽界真語といふ類の見聞録は数多く出て居て、多いが為に却つて訝かしい不一致が暴露するのを、何とかして信じられるものにしたいと願ふ学者たちは、さういふ糟みたやうな部分を払ひのけて、後に残つた共通の資料の中から、大よそ又是に近い結論を導いて居た。私が教を請けた松浦萩坪先生なども、其信者の一人であつた。御互ひの眼にこそ見えないが、君と自分とのこの空間も隠世(かくりよ)だ。我々の言ふことは聴かれて居る。することは視られて居る。それだから悪いことは出来ないのだと、かの楊震の四知のやうなことを毎度言はれた。しかし後になつて考へて見ると、是は一つの可能性といふべきもので、誰の霊がそこに来るかといふこともきまらず、又常に必ず居るとも言へないのであつた。多分は霊魂の去来が完全に自由であり、しかも其数は益々多くなり、又定まつた居所行き所をもたぬものが、世と共に増加することを感じた結果が、次第に斯ういふ推理を下さざるを得なくなつた(後略)交通往来の甚だしく自由であつたのは、もとは恐らくは無寄の遊魂ばかりであつた。それが世と共に数を増加して、統制が望まれなくなつた為に、所謂みさき風・神行逢ひの恐怖が愈々(いよいよ)滋くなつて、次第に近代人の幽冥観に影響したものかと思はれる。(筆者により一部を現代仮名遣いにあらためた。)

柳田によると、近代になってから適切に供養されない死者の魂が増加したため、幽冥界から常にみられているような感覚になったという。ここで重要であると考えられるのは、柳田が幽冥界の存在やその実態ではなく、近代になってからの幽冥界に対する考え方の変化に関心を寄せていることが分かる。柳田が明治時代以降流行していた心霊主義にも関心を寄せていたことが知られている(注1)が、『先祖の話』が書かれた時期(1945年)では、なぜ幽冥界に対する考え方が現在のようになったのかということに関心の比重を置いていたようである。

(注1)例えば、『遠野物語の周辺』水野葉舟、横山茂雄編(国書刊行会, 2001年)が柳田とその周辺の心霊主義との関係性に関して詳しい。

よろしければサポートをよろしくお願いいたします。サポートは、研究や調査を進める際に必要な資料、書籍、論文の購入費用にさせていただきます。