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謎の男・平澤哲雄の雑誌投稿記事―無料公開中のざっさくプラスを活用する

 今年の春に無料公開されていた雑誌記事の索引データベースである「ざっさくプラス」が11月1日から11月10日まで無料されている。良い機会なので気になるあの人物について調べてみよう!ということで、拙noteも度々取り上げている謎の人物・平澤哲雄に関して調べてみた。平澤哲雄って誰?という方はとりあえず以下の記事を参考にしていただきたい。

平澤哲雄の名前をざっさくプラスで検索すると、以下の記事がヒットした。

純白の鳥/久遠のほほゑみ 『第三帝国』第83号 1913年4月
装飾美術の真理(評論) 『六合雑誌』第421号 1916年2月
霊(詩) 『六合雑誌』第423号 1916年4月
<<聯合個人展覧会の反響>>個人展覧会に就て 『研精美術』第105号(聯合個人展覧会号) 1916年4月
拙詩に就いて(反響) 『六合雑誌』第425号 1916年6月
タゴールの印象と感想 『六合雑誌』第426号 1916年7月 ※著者のひとり
<文芸>純白と真黒(詩) 『六合雑誌』第426号 1916年7月
米国の夏 『趣味之友』夏の衣食住号 2巻7号(通号第7号) 1916年7月
<文芸>永遠の扉(詩) 『六合雑誌』第427号 1916年8月
<文芸>平原と山上にて(感想) 『六合雑誌』第428号 1916年9月
<文芸>美術院第三回展覧会批評 『六合雑誌』第429号 1916年10月
<時評>美術展覧会批評(文部省展覧会と二科会展覧会) 『六合雑誌』第430号 1916年11月
有島武氏を想ふ 『読売新聞』7月10日号 1923年7月

いくつか興味深い点を以下に述べていこう。まず目立つのは『六合(りくごう)雑誌』というキリスト教系の雑誌への投稿が多いことである。永井荷風の日記『断腸亭日乗』には、平澤がインド美術に関心を持っていたということが述べられている(注1)が、キリスト教とも関係があったようである。これは現在では奇妙なことのように思われるかもしれないが、当時は普通のことであったようだ。有名なところでは、宮沢賢治もキリスト教と仏教の両方に関心も持っていた。また、投稿内容から平澤が詩作、評論、美術批評などを行っていたことが分かる。

 次に興味深いのは『第三帝国』という雑誌に投稿していたことである。『第三帝国』は茅原崋山が発行していた大正時代の青年向けの雑誌であるが、平澤も大正時代の悩める青年のひとりであったのだろうか。

 最後に次に平澤のことを調べる上でカギになりそうなことを述べていきたい。注目したいのは「有島武氏を想ふ」という平澤の文章である。「有島武氏」は有島武郎のことだろう。この文章は有島と平澤の間に何らかの交流があったことを推測させる。有島に関しては、『有島武郎ー地人論の最果てへ』荒木優太さん(岩波新書, 2020年)や『有島武郎 世間に対して真剣勝負をし続けて』亀井俊介さん(ミネルヴァ書房, 2013年)を最近たまたま読んでいたが、有島は生涯に渡って多くの日記を書き残していることが分かった。以下のブログによると、『有島武郎全集』全15巻、別巻1巻(筑摩書房, 1979年11月~1986年9月)の第10~12巻には有島の日記が収録されているようだ。有島の日記や全集に収録されている書簡の中に平澤に関する何らかの情報が含まれているかもしれない。引き続き何か分かったことがあれば紹介していきたい。

(注1)冒頭に引用した記事中に永井荷風の『断腸亭日乗』に登場する平澤の紹介をしている。

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