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澤田四郎作日記に登場する井葉野篤三と井葉野華兄

 先日、『郷土史家名簿』(日本経済史研究所, 1934年)という当時郷土史の研究に関係していた人物のリストが国会図書館のデジコレ上で閲覧できることを教えていただいた。早速閲覧していると、大阪府の部分に「井葉野華兄」という人物が載っているのを見つけた。「井葉野」という名前で思い出したのは、澤田四郎作の日記にも頻繁に登場して澤田と深い交流のあった小説家・井葉野篤三という人物である。井葉野篤三と井葉野華兄は親族なのだろうか?

 この名簿によると、井葉野華兄は大阪府住吉区玉出に住んでおり錦絵を蒐集していたようだ。あらためて澤田四郎作の日記を確認してみると、井葉野華兄に関しては、昭和9年の『日誌』(この文章は以下のウェブページで閲覧可能)に(昭和9年6月21日)「今日井葉野華兄翁蒐集の住吉関係のもの階上に陳列」と記載があるのを見つけた。「井葉野華兄翁」とあることから澤田よりも年長であったことが分かる。しかしながら、井葉野篤三と井葉野華兄の関係はかなり年齢差があるのではないかということ以外分からなかった。続報が期待される。

(2021/3/11追記)井葉野篤三と井葉野華兄が親子であったのではないだろうかということをTwitterでご教示いただいた。大阪や京都の郷土史研究の雑誌『上方』を編集していた南木芳太郎の日記が、『南木芳太郎日記』(大阪市史編纂所, 2011年)として出版されているが、昭和5年3月18日の条に「井葉野篤三氏は大阪時事の若手の記者、父と共に(中略)このごろ蒼生会の久座の仲間入りする、(中略)父君が蒐集の大津絵を見せて句座を開く(後略)」とあるので親子であったことが分かる。



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