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下出書店の経営をまかされていた男

 以前、忘れられた哲学者・平澤哲雄の著書『直現藝術論』(下出書店, 1922年)を出版した下出書店に関して以下の記事で取り上げて、「下出書店に関する一考察」朝井 佐智子(『愛知淑徳大学現代社会研究科研究報告』13巻26号, 2015年)という論文を紹介したが、この著者によってその後下出書店に関する新しい論文が書かれていたことが分かった。

『下出義雄の社会的活動とその背景』愛知東邦大学 地域創造研究所編(唯学書房, 2018年)に「下出書店と杉原三郎」という論文が収録されている。この論文によると、杉原三郎は下出書店の経営を多忙な下出に代わって事実上取り仕切っていた人物であるようだ。この人物の名前は、平澤の『直現藝術論』の中の関係者への謝辞を述べている部分にも確認できるので、平澤の本の編集にも関わっていた。この論文の中に、杉原の経歴が年譜としてまとめられていたので、以下に引用してみたい。

1889年 山梨県香澄町に利置三男として生まれる。
年代不明 東京府立第一中学校に学ぶ
1909年 青山学院中学部卒業
年代不明 アテネフランセ、独逸語専修学校、正則英語学校に学ぶ
読売新聞記者、中央新聞記者、毎夕新聞記者
東京毛織
同文館書店編集部
1921年 下出書店
1923~1924年 社会理想社(経営)
1924年 朱文書店、聚芳閣
1926年 丸之内新聞社(経営)
1933年 国際書院(経営)
1941年 日本産業報国新聞(経営)

年譜から、杉原が様々な出版社、新聞社に勤めたり、経営したりしていたことが分かる。また、杉原は社会主義関係の本の編集・出版を行い、自らも『社会主義倫理学研究―杉原三郎個人研究誌』(社会理想社)、『共産主義研究』(朱文書店, 1924年)などを書いている。社会運動にも関わっていた人物でもあるようなので、『近代日本社会運動史人物大事典』(日外アソシエーツ, 1997年)も確認してみたが、杉原は立項されていなかった。

 上に取り上げた論文「下出書店に関する一考察」によると、下出書店は「当時日本の学界で、研究を欲する人があっても営業的になりたたないために出版すべくして出来なかった書籍を、全く採算を度外視して出版した」ようだが、平澤の『直現藝術論』も杉原の方から出版を持ちかけたのであろうか。


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