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平澤哲雄の渡欧送別講演会の出席者と謎の渡欧理由

 拙noteでも度々紹介している平澤哲雄だが、このブログの記事によると、1924年2月にヨーロッパへ渡ったそうだ。このヨーロッパへの渡航を記念して送別講演会が行われたことが、『新聞集成大正編年史』大正13年度版上ノ上(明治大正昭和新聞研究会, 1986年)に収録されている1924年2月14日の『東京日日新聞』の広告から分かる。以下にその広告の内容を簡単に引用をしてみたい。(重要な部分は太字にした。)

平澤哲雄氏 渡欧送別講演会 二月十七日(日曜)正午於上野自治会館

今度世界哲人の私的連盟の事業に我国より選ばれて近東各地西欧各国に旅される平澤氏の文化上意義深き行を壮んにする為め送別講演会を催します

主催平澤送別講演会幹事 南方熊楠、西田幾多郎、遠藤隆吉、大山郁夫諸氏

講演者 団伊能、北れい吉、吉江喬松、片上伸、平澤哲雄、紀平正美諸氏
平澤氏の行に資する為め特に会費金五十銭といたします

講演 東京日日新聞社

拙noteの他の平澤関連の記事を読まれている方にとっては、ほとんどの人物がおなじみ(?)であると感じられるだろう。むしろ、ここで私が気になったのは平澤の渡欧理由が上記の太字の部分のように書かれていることである。平澤の渡欧理由は、以下の記事の中に紹介した南方の書簡の中では大阪毎日新聞の特派員になったことが述べられている。「世界哲人の私的連盟の事業」とは何のことだろうか?『新聞集成大正編年史』大正13年度版中(明治大正昭和新聞研究会, 1986年)に収録の『東京日日新聞』1924年8月21日には「最近の独逸思想界」という平澤の記事が掲載されているが、この記事にれば、平澤は国際連盟の事務局を訪問していたことが分かる。国際連盟関連団体なのだろうか?

 また、『読売新聞』1925年5月16日朝刊に掲載された平澤の妻で一緒に渡欧した吉村せい子にインタビューした「世界めぐりの旅みやげ話」という記事では、「思想家達の集まりがあると云ふので、友達のリシヤアル氏が震災になやまされた私共を迎へて下すつたのです。」と渡欧した理由が語られている。「リシヤアル氏」は、フランスの哲学者・ポール・リシャールのことで平澤の『直現藝術論』(下出書店, 1922年)から平澤と深い交流があったことが分かる。この「思想家達の集まり」が「世界哲人の私的連盟」のことだろうか?今となっては平澤のヨーロッパ行きの理由の詳細は不明だが、実際のところ平澤はヨーロッパを旅行したかっただけで理由はそのための口実に過ぎなかったのかもしれない。



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