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貧しかった幼少期を思い出しました


毎週恒例の母親への電話。けっこう長めに話しました。もはやあいさつがわりのコロナについて少し。そして今日は「貧困」についても話しました。「子どもの貧困」関連図書は3月にはいって3冊目。明日は購入した最後の1冊を読みはじめようと思います。

やはりというか、なんとなく感じていましたが私も就学前は貧しかったそうです。父は元気に働き、母はパート。なんとか生計を立てて私を保育園に通わせてくれました。5歳までの貧困経験は、成人後も貧困に陥る傾向があり、科学的にも指摘されていて、それは「あきらめ」が原因とのこと。

「あれほしい」「これ買って」と駄々をこねていたけど、いつしか口を閉ざす。言ってもムダと知り、あきらめるようになるとあらゆる面で意欲が低下するそうです。進学も同じ。無気力をよそおって「どうせバカだから」と責任を内面化して、それが将来の稼ぎに影響する。子どもだけど、「家が貧しい」ことは薄々気づいているんです。

私もそうでした。そうなんだろうな、と。公団の小さな家。母が自転車で送り迎えしてくれたことを思い出しました。一生懸命働いてやりくりしていかせてくれた保育園。実は保育園は、就学前教育として優れていると評価されています。

コミュニケーション能力の基礎が培われたり、居場所になったり、そして意欲の面でも。保育園を出ているか否かで、進学や就職の率や質に変化が起きるという。だからこそ親には感謝してもしきれない。自分も親になり、娘二人を保育園に行かせてあげることができて、あらためてほっとしている。

なぜ貧困に関心が向いたのか。前職はスポーツクラブ勤務で、そこでの問題意識が大きかったのでしょう。とかく日本のスポーツビジネスは「競技性」や「勝敗」が重要視されますが、個人的には「コミュニティ」的な役割を担うことがあるべき姿だと思っています。

多くのサポーターと接してきましたが、日常的にストレスを抱えている人はすくなくありませんでした。そして日曜日、スタジアムで仲間に会い、話し、ご飯を食べてお酒を飲んで、思いっきり声を出して。そこには勝敗以上に大切なものがありました。それはコミュニティ=居場所です。「生きててよかった」と思える場所。

大人だけではなく、子どもだって同じ。少子化が進行しているのに、子どもの貧困率が上昇している日本には、「あの子はできるのに僕はできない」と、恵まれた子どもたちと比較して自らの状況を悲観し、いつしかあきらめ、意欲をなくして、投げやりになる子どもは少なくないはず。

そんな子どもたちの居場所をつくりたい。ちょっとだけでも、一日だけでもホッとできる時間を提供したい。という思いから今、サッカーイベントを企画しています。シンプルにサッカーを楽しむというものではなく、ストレスを抱える子どもたちの拠りどころになるようなイベントです。

浅い知識でテキトーなことを言って信用を失うことのないよう、自分なりに勉強したい。それが書籍購入につながりました。没頭する毎日が自分の幼児期の記憶を呼び起こし、だからこそ今日の母への電話で感謝の気持ちを伝えることもできました。

毎日、貧困問題に向き合って、朝から晩まであくせく、ボランティア的にがんばっている人たちからしたら、私が考える企画なんて雀の涙にもなりません。でも何も行動しないより、という思いと、もしかしたらこの取り組みがメディアに取り上げられて、大きなうねりのきっかけになるかもしれないという淡い期待も。

ワーキングプアという言葉にあるとおり、母子家庭では就労率が8割を超えるのに、貧困率は5割に達する。働けども満足なお給料を得られず、掛け持ちすれば子どもとの時間が減る。調査では母子家庭の親が子どもに接する時間は一日46分です。

貧困は、ただお金がないだけではなく、上述したような副次的な影響が存在する。虐待だって親だけの責任ではないかもしれません。さまざまなプレッシャーに押しつぶされそうな親もいるかも。もちろん暴力は肯定できませんが、「貧しさが原因では」という視点を持つことも大事だと思います。

明るい未来、社会をつくるのは今は幼い子どもたち。受益者負担という概念が根強いとするならば、将来的な利益をえる「社会」こそ貧しい子どもを救うべきなのかもしれません。ですがまずは私のような個人が行動を起こしてもいいのでは?ということでがんばってみたいと思います。

久保大輔




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