感謝なんか、しなくていい。
「周りに合わせるのが当たり前」これが行き過ぎて苦しんでいる人が多いんじゃないか?日本に漂う閉塞感やピリピリした雰囲気の背景にはコレがあるんじゃないかと思っています。
「空気を読まねば」「人に迷惑を掛けないようにすねば」「自己中は控えねば」「親には何が何でも感謝せねば」などなど、自分の本心はどうでも良くて本音を抑え込むのが当たり前。
つまり、自分を殺すのが当たり前になっているのではないでしょうか。
本当の自分で生きられない魂の叫び、自分を殺した魂の反動が「有名人叩き」「誹謗中傷」「ネット上の集団リンチ」といった対立や攻撃のエネルギーに変わっているのではないでしょうか?
「愛しなさい」「感謝しなさい」
ごもっともな言葉ですが、こうやって声なき声に、言語化しにくい苦しみと闘っている人に対しては酷だと思いませんか。
自分を殺し、周りに合わせて、それでも報われずに苦しんできた人間に愛だ感謝だと言っても「ざけんなよ!」「いい加減にしろよ!」ってなって当たり前ですよね。
判で押したようなありがとう、愛のエネルギー、感謝の押し付けは脅迫や恫喝と同じようなものだと思います。「ねばならない精神」で心に恐れを生み出す無限ループではないでしょうか。
親に、他人に感謝出来ない時は?
結論、しなくていい。
自然に出来るようになるまで待てばいいんです。
出来ない人を責めちゃいけないと思います。
嘘を吐かず、周りに迎合しない勇気を持てば、いずれ
そのうち感謝や愛も自然と生まれるでしょう。
自分を殺して取り返しが付かなくなるなら、やりたい放題やった方がいいです。
もう、合わせなくていい
自分全開で、これが私だと開き直って生きた時、人は恐れから開放
されて、真の実力を発揮出来るのだと思います。
もう苦しまなくて良いし、他人を攻撃する必要もなくなります。
愛や感謝が自分の内側から自然に生まれるまで、極端に言えばやりたい放題むちゃくちゃしてやればいいんです。
本当に、大丈夫なので。
「人を支配しない、縛らない」とは「迎合させない」と同じだと思います。
自分もそうだから、相手にも「迎合させない」という偉大なる優しさ、強さを持った人はこれからの時代にぴったりのような気がします。
難しいことなんてしなくていい
他人を迎合させない強さを一人一人が持てば世界はもっと優しくなるんじゃないかと思います。
危なっかしく聞こえるかもしれません。
でも、こうして一人一人が本当の自分を大切にする癖を持つことで、他人が他人を攻撃する「対立の世」「支配の世」は少しずつ変わっていくのではないでしょうか。
一人一人が自立した信頼と尊重ある社会へ、自然と流れていくのではないでしょうか?
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?