見出し画像

「嫌なら逃げたらいい」? 性暴力被害者の体験から考える、フリーズについて

痴漢やレイプ、性暴力などがニュースになる度に、「なんで逃げなかったんだ?」「誘っていたんじゃないのか?」「本当はそうなることを期待してたんだろ?」などのコメントがあちらこちらから聞こえてくる。
こう言ったフレーズは、二次被害を引き起こし、被害者を追い詰めるとされています。
私自身、そんな心無い言葉を聞くたびに、またか・・・という気持ちになるが、「逃げたらいいのに」と思ってしまう人の気持ちも想像はできる。

でも、少なくともわたしにはそれが出来なかった。
実際にその状況で考えていたことや思っていたことを当事者が打ち明けることで、固まってしまうという状況について理解していただけるんではなかろうか?と考え今回は記事を書くことにしてみました。

今日は、そんな「なぜ逃げないのか」について、いち当事者の意見を書かせていただこうと思います。
わたし自身、今でもこの辺はかなりデリケートな問題で、逃げる選択肢がないという自分の無知さを責めてしまうし、その状況から脱することができなかった自分が汚いもののように感じてしまうことがある。おそらくこの問題に対し、同じような気持ちを抱える当事者は他にもいるのではないかと思う。しかしその時、その状況下で、残念ながら、わたしたちには逃げるという選択肢はなかったのが事実。
そもそも拒否しない・できないとはどういうことなのか。
そういう状況を、一般的にフリーズすると言われています。

フリーズとは

不動状態、レイプ被害者の多くが経験 被害者支援に取り組む臨床心理士で、目白大学人間学部心理カウンセリング学科講師の齋藤梓さんによれば、フリーズの概念は心理学や被害者支援の現場では広く知られてきたこと。
「最近ではTonic immobility(擬死反応/強直性不動状態)という言葉で研究が行われています。これは、意識はあるけれど筋肉が硬直して身体が動かなくなり、発声が抑制され、痛みを感じにくくなるといった特徴がある状態です。
たとえば、スウェーデンで行われた、レイプ被害女性のための救急クリニックを訪れた女性を対象にした調査(※)では、強直性不動状態が、レイプ被害者の70%に見られたことが明らかになりました」(齋藤さん) ※Moller et al.,(2017) (被害者に「なぜ逃げなかったのか」と聞いてはいけない理由小川たまか | ライター、2019/6/3(月) 16:30、本文より一部抜粋)

先日テレビでウィーンで8年間監禁されていた少女のお話が放送されていました。監禁された少女は、男に「逆らうのはやめよう」と心に誓い従順に振舞うことで信頼を勝ち取り、折を見て逃げるタイミングを待とうとした言います。当時まだ8歳の少女が、ここまではっきりと計画性を持てたことに驚きました。そんな彼女でさえ、そのタイミングがきた時、足がすくんで助けを求められなかったと言います。

抗拒不能について

抗拒不能
条文:178−2 (準強制性交等)
人の心神喪失若しくは抗拒不能に乗じ、又は心神を喪失させ、若しくは抗拒不能にさせて、強制性交等をした者は、前条の例による。

この、抗拒不能は、家族・親族、指導・監督する立場、薬物や飲酒などによる意識低下、障害やケアといった立場の差や状況において起こるとされています。
実の娘に性虐待を加え続けた父親の裁判では、「必ずしも抵抗できない状態だったとは認められない」と判断されました。

名古屋地裁 岡崎支部で開かれた裁判。父親が、平成29年の8月と9月、当時19歳だった娘に、自分の勤め先やホテルで性的暴行をした罪に問われました。父親の弁護士は、「娘は同意していて抵抗できない状態ではなかった」と主張。
https://www.nhk.or.jp/gendai/articles/4281/

上記が理由です。
では、本当に同意していて、抵抗できない状態ではなかったのでしょうか?
「いや」と言わないと、力づくで拒否しないと、落ち度があるのは、私たち被害者の方なのでしょうか?

助けての一言が言えない、一歩踏み出せないという状況とはどういうことなのか。

わたしの場合、幼少期から兄による性虐待は始まっていました。おそらく、6歳の時には始まっていたかと思います。そこから両親に打ち明ける16歳まで、わたしがどう感じ、その間に考えていたことをお話します。

あの女の子のケース|ジャバ・ザ・ハットの横で鎖に繋がれたダンサー、若しくは悪いことをして試練を受けている全く別の惑星からきたお姫様

ジャバ・ザ・ハットというキャラクターをご存知だろうか?スターウォーズに出てくる如何にも悪そうな見た目の、巨大なナメクジみたいな見た目のグロテスクなキャラクターだ。公式では、「銀河で最も強大なギャングのひとりで、その影響力は暗黒街だけでなく政界にもおよぶ。」と解説されている。「悪の権力者」と言ったところだろうか。

わたしもうろ覚えだが、そんなジャバ・ザ・ハットの周りには、鎖に繋がれた女たちがいて、時に彼を喜ばせるプライベート・ダンサーだったり、彼のお世話係をしているのだ。彼女たちに、自我を持つことは許されない。彼女たちは、彼の所有物なのだ。
そんな女たちが、子供ながらに自分と重なった。
「わたしは、コレだ」と思った。
家庭環境の中で、兄を性的に喜ばすこと、そして従うこと、それがわたしの使命で、それがここで生活できる理由なんだ。と思っていた。それは、生きる意味のようなものだ。それをしないということは、すなわち家を失うこと、そこに存在する理由をも失う。それは、子供ながらに非常に怖いことだった。
定めなんだと飲み込んだ。飲み込むことで、納得した。

とはいうものの、存在する理由が誰かの所有物としてその人を喜ばせるくらいしかないなんて、やるせなくて消えて無くなりたいと思うようになった。自殺願望がはっきりと芽生えたのはこの頃で、当時わたしはまだ9歳だった。
小学校の3階の手すりに座って、「今ここから落ちて死んでも、誰もわたしに何があったかなんて気づかないだろうな。誰も自殺だと思わないだろうし、事故だと思うだろうな。それがいいな。」と思ったことを今でもはっきりと覚えている。
公言していいことではないことも、この頃になると理解し始めていた。

またもう少し成長した頃には、自分が別の星から来たお姫様だと信じていた時期もある。きっと、何か特別悪いことをして、その償いのためにこんな目に遭っているんだと思っていた。夜、ことが終わった後、窓から夜空に「早く迎えに来ますように」と何度となく願った。迎えにくる人なんていないのに。
夜中に声を殺して泣くことがあったが、それに両親が気づいて寝室を訪ねてきてくれた時に、どうしたか聞かれても、何が悲しいのか、何が怖いのか、状況や感情を言語化する力もなく、どう説明していいのかもわからず、ただ「怖い夢を見た」というのが精一杯だった。

とにかく、生きている理由もよくわからなかった。

性暴力が幼少期から日常になっていて、性交渉の意味がわかっていない子どもには、行為自体が気持ち悪くて、痛かったり臭かったりキツかったりしても、それが普通なのか普通じゃないのかの判断さえできないし、その状況から抜け出すなんて思いもよらないのだ。比較対象となる普通の状況がわからないと、自分が置かれている状況の異常性なんてわからないものなのだ。まして、抜け出したら家や家族、生活を失いかねない上に、そもそも自分の存在する意義が根底から揺るがされかねない。どうしていいのかわからなかった。わたしは、兄に所有されているも同然だった。兄にいい顔をして、喜んでいる振りさえしていれば、兄は嫌がることをしなかった。むしろ、少し優しくしてくれた。されていることは、性暴力なので、それ自体心も体も傷つくことだったけれど、反抗的にするよりずっとマシに思えた。おそらく、暴力を振るわれたりするよりも、性的に搾取されている方が、マシだと思えた。協力的であることは、ある種の自衛だったのだ。
兄から直接秘密にしろと言われたことがあったかさえ、もう覚えていない。
ただ思春期くらいから、なんとなくこれは両親に気づかれてはいけないことらしいということは理解した。
思春期を経て、性交渉を知る頃になって初めて、自分が置かれている状況がおかしいことに気づき始める。
とはいえ、今更どうしていいかさえわからない。

この、思春期を迎えるまでに、わたしの中で拒否する・逃げるという考えが頭に過ぎることは一度もなかった。正確には、そんな選択肢はそもそもなかったというのが一番正しい。
そして、そんなことを考えたり、安全な場所に身を置くという選択を行うことを考えられない状況というのが、わたしにとってはフリーズだったのかなと思う。というよりも、安全な場所なんて物が存在することさえ知らなかった。

以上が当時の状況だ。
改めてもう一度問いたい。
「逃げればよかったんじゃないか?」という質問についてだ。
どうだろう?子供の頃から「飼い慣らされた」状態だった場合、逃げるなんてことを想像つくだろうか?いやで、傷つくけれど、「こういうものだ」と受け入れるしか、生きることなんかできなかった。

わたしは、今まで生きてきただけでも、十分に自分も、そして同様の経験をした人たちを褒めたい。
私たちは、よくやっているよと。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?