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山田太一脚本、篠田正浩監督の『少年時代』 複雑な内面を持つガキ大将・タケシの魅力

 SF映画やメタフィクション系のトリッキーなドラマでもないのに、ここまで重層的な構造を持つ作品は珍しい。藤子不二雄(A)原作&プロデュース、山田太一脚本、篠田正浩監督による映画『少年時代』(1990年)は、あらゆる世代の日本人にノスタルジー感をもたらすだけでなく、ひとりの人間が持つ複雑な内面を掘り下げた興味深い物語となっている。

 2023年11月に亡くなった山田太一は『男たちの旅路』(NHK総合)や『ふぞろいの林檎たち』(TBS系)をはじめとする数々の名作ドラマや小説『異人たちとの夏』などを残したが、映画脚本の代表作は『少年時代』ということになる。また、助監督として入社した松竹時代の先輩にあたる篠田監督との唯一のタッグ作でもある。

 ストーリーは極めてシンプルだ。太平洋戦争も終わりが近づいた昭和19年(1944年)。小学5年生になる風間進二(藤田哲也)は実家のある東京を離れ、地方へ縁故疎開することになる。両親(細川俊夫、岩下志麻)から愛情を注がれて育った進二にとっては、単身で田舎の生活に放り込まれることはまさにリアルな戦争の始まりだった。

 富山の農村で暮らす伯父夫婦(河原崎長一郎、三田和代)の家から小学校に通い出した進二は、地元の子どもたちの格好の標的となる。東京育ちの進二は言葉も仕草も地元の子どもたちとは違ったからだ。都市生活者と地方在住者との間には、今とは比べ物にならないほどの大きな断絶があった。

 クラスの級長を務めるタケシこと大原武(堀岡裕二)が、この村一帯のガキ大将だった。体格のいいタケシは家の仕事を手伝い、幼い弟の世話もしていた。礼儀正しく、勉強もできるので、大人たちからの評判はよかった。だが、自分に従わないクラスメイトには容赦なく鉄拳を見舞う。転校生の進二は学校でタケシから奴隷的に服従させられる一方、学校を離れると親友として大切に扱われることになる。

 子ども社会を束ねる暴君としての顔と、進二が語る『巌窟王』の物語に耳を澄ませる知的好奇心旺盛なインテリとしての顔をタケシは併せ持っていた。タケシの持つ二面性に、大いに戸惑う進二だった。

進二たちだけでなく、日本も少年期を終えることに

 美しい富山の自然を背景にした映画『少年時代』の魅力は、この分裂したアイデンティティを持つタケシというキャラクターに尽きるだろう。学校では進二に対して威圧的な態度を見せるタケシだが、進二が街の郵便局までひとりで荷物を受け取りに行ったと知ると、全力疾走で街へ向かい、体を張って街の悪ガキたちから進二を守る。

 タケシというひとりの少年の中に、野獣のような暴力性と父性的な優しさが同居している。封建時代の暴君のような態度を見せつつ、東京育ちという近代性を身につけた進二への憧れを抱いている。貧しい家庭を支えるために大人社会に混じって勤勉に働く一方、子ども社会で鬱憤を晴らすかのように怒りを爆発させる。

 戦時下だったこの時代、タケシや進二たちは愛国少年であることを求められた。だが、昭和20年(1945年)には日本は連合軍に敗れ、軍国主義の時代は終わることになる。日本を統治した連合軍司令官のダグラス・マッカーサーは「日本人は12歳の少年のようだった」と米国への帰還後に語ったという。この映画『少年時代』は、タケシや進二たちだけでなく、日本という国そのものが少年期を終える物語でもある。

 本作を観た人たちの脳裏に深く印象に残っているのは、タケシと進二が仲良く記念写真を撮るシーンだろう。街の悪ガキたちを振り切った二人は、近くにある写真館で日没まで過ごすことになる。生まれて一度も写真を撮ったことがないタケシは、進二に「俺、いっぺん写真館で写真を撮ってみたかったんよ」と持ち掛ける。「いいよ」と答える進二だった。

 映画の中で記念写真を撮るシーンは、重要な意味を持つことが多い。この映画もそうだ。地方において数少ない文化的な香りのする写真館で、カメラの前に背筋を伸ばして並ぶタケシと進二。この写真撮影の場面には、少年同士の友情を超えた、プラトニックな淡い恋愛感情が漂う。お互いに、そのことには気づいていないのだが。

 写真を撮り終えた後、進二はタケシに「大原くんはこんなに優しいのに、どうして……(いじめるの)?」と問い掛ける。その問いに対し、タケシは「わからんのう! わからんのう!」と怒りながら泣き、進二の頭を床にゴツゴツと叩きつける。なんとも痛い、恋愛シーンではないか。

山田太一が語った疎開先での体験

 やがて日本は戦争に敗れ、新しい時代を迎えることになる。進二も東京の家族のもとへ帰ることが決まる。進二が富山に疎開していたのは1年にも満たないが、進二にとっては強烈な戦時下での体験だった。

 映画公開からしばらくした時期の山田太一へのインタビュー記事によると、原作者の藤子不二雄(A)だけでなく、1934年(昭和9年)浅草生まれの山田太一も戦時中に湯河原への疎開を経験していたそうだ。進二と同学年だった山田太一は、インタビューの中でこう語っている。

「言葉も生活も東京都は違う。そこへ入るためには、東京を捨てなきゃならないんです。東京もんですという顔をしてたら、いじめられますから、いち早く捨てたぞという態度をとろうとした。でも、心の中では自分は東京もんだというアイデンティティがあって、敗戦後、東京に帰る人たちはそれを裏切るわけですね。田舎もんのふりをしていたのが、すっともとの顔に戻るわけですよ。受け入れた側から見ると、一種の裏切りというか淋しさがあった。そして東京に帰る人にも後ろめたさみたいなものがあったんです」(『東京人』1998年3月号)

 多面的な顔を持っているのはタケシだけではなかった。進二もまた、多面的な顔を使い分けて、戦時下の疎開先をサバイバルしていたことが分かる。それゆえに、惹き合うものがあったに違いない。

 タケシ役を演じた堀岡裕二は地元・富山在住の少年で、映画公開後に芸能界に誘われたが、芸能界への興味がなく、断ったという。彼にとっても、この映画は少年時代の特別な思い出となっている。

 富山ロケが行なわれた本作は、2024年5月11日(土)から1週間限定で、横浜のミニシアター「シネマ・ジャック&ベティ」で〈令和6年能登半島地震復興応援企画〉として35ミリフィルムで上映される。特殊な状況下での少年たちの交流を描いたドラマだが、戦争を知らない世代でも不思議とノスタルジック感を覚えるはずだ。未見の人にも、改めて見直したい人にも、ジャック&ベティでのスクリーン上映をお勧めしたい。

『少年時代』
原作/柏原兵三、藤子不二雄(A) 脚本/山田太一 監督/篠田正浩 主題歌/井上陽水 
出演/藤田哲也、堀岡裕二、山崎勝久、小山篤子、細川俊夫、岩下志麻、鈴木光枝、河原崎長一郎、三田和代、仙道敦子、芦田伸介、津村鷹志、大瀧秀治、大泉巨泉
配給/東宝 1990年8月11日公開 2024年5月11日(土)~5月17日(金)横浜シネマ・ジャック&ベティにて連日12:05より上映。
(C)少年時代製作委員会

https://www.jackandbetty.net/cinema/detail/3475/

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