学びは「楽しい」から始まる #2聴く・読む・わかるを親子で楽しむ
◾️小学校入学:息子に言ったこと…“勉強は楽しいねんで“
学ぶこと対しての動機づけをどうするか?
“後で役に立つ“とか“将来ええ学校に入るため”とか、息子の今関係ないことは、言わなかった。だいたい、7歳の子に将来の話をして理解するほど 天才ではないし、英才教育を受けさせるだけの費用もない。
学校は、勉強の時間と遊びの時間が交代であって、勉強の時間のほうが長いねん。遊びの時間は楽しいやろ?
👦うん
勉強は、わかったら楽しいねん。
👦きょとん
なんかできるようになったら嬉しいし、楽しいやろ?
👦うん
そしたら、学校は一日中楽しいねんで。どうや?ええやろ?
👦うん
息子は目をまんまるにして聞いていた。
◾️こども視点の自主学習
小学校では、低学年から自主学習に取り組んでいたので、付き合う親は大変だった。一般的な教科の学習ばかりだとこどもは飽きてしまう。うちでは、息子の興味に任せて探究していくようなこともしていた。中でもよく覚えているのが、“ウルトラマンの研究“ 何冊かあるウルトラ絵本をもとに、見つけたこと、気づいたことを観察記録風にノートに書いて提出した。担任は『なんでウルトラマンなん?』と思ったかもしれないが。テーマ選びも自主性が大事やし、わたしも面白がって応援した。意見を求められることも多く、親子で結構夜更かしの日もあったが、とても楽しかった。
地元の大学博物館でのこども講座で描いた三葉虫のスケッチ、展覧会の感想、自分で作ったお話と絵など、面白い学習帳になった。
◾️自分の子供の頃の経験と反省
子供の頃のわたしは活字を読むのが好きで、一冊きりの分厚い童話集を繰り返し読んだ。地域に図書館はなく、児童文学の存在も知らなかった。学年学習雑誌、科学と学習の定期購読、教科書は配布されたらすぐに読んだ。
教科書は、しっかり読んだら答えがわかる仕組みになっていた。教室で学習する前に教科書の問題は全部解いてしまっていた。しかし、読んだらわかるという慢心から、復習を怠るようになり、成績はどんどん下がった。
父は頭ごなしだったし、母は近所の補習塾に行かせたがった。わたしにとって、どちらのやり方も合わなかった。
◾️ジグソーパズルの集中力から読書へ
息子は進んで勉強するようなこどもではなかった。ただ、ジグソーパズルやブロック遊びをすると、驚くような集中力があった。療養中の父の病院でも、黙々とパズルで遊んでいた。ただ、大人しくしているからといって放っておくと、子供の心に負荷がかかることがある。
自分にできることはなんやろ?
息子に合いそうな絵本や児童文学を図書館で探し、あるいは、購入し、繰り返し読み聞かせをした。
👦お母さんは、僕が気に入る本を探す天才だね
本選びに関して、信頼してくれて嬉しかった。実は、児童書に触れずに育ったので選び方分からず、こども向けの推薦図書の概要を読んで選んでいた。
読書の習慣が定着しても、読み聞かせは4年生頃まで続けた。登場キャラクターごとに声色も工夫しつつの語りは好評だった。
ラッキーなことに、子供向けファンタジー小説のブームがきた。予約購入し、徹夜で読んで内容を把握した。これは良き!と息子にすすめた。辞典のような分厚い本を毎日ランドセルに入れて通い、休み時間に読んでいた。
こどもが世界観や状況を想像しやすいように、フォントや色使いに工夫のあるデザインに感心した。
誕生日プレゼントはハードカバーの本に決め、わたしも図書館の本を読み、感想を共有した。
クリスマスプレゼントはブロックセットに決め、アイソメの設計図を見て組み立てさせた。見えない部分の構造を親子で一緒に考えた。
元旦は映画の日。ファンタジーが原作の映画を観て、文章から思い描いた世界と映像化された世界との印象の違いを話し合った。
2日はゲーム三昧の日。その日だけは親子で1日中ゲームをした。
いずれも息子の興味の対象を広げることと、親子コミュニケーションの機会が増えたら良いなと始めたことだった。わたしにとって、親子で楽しむことは、人生を生き直しているような楽しい時間だった。
国語が苦手だった息子は、活字やことばを身近に感じるようになり、ジグソーパズル同様、教科書音読もとても集中するようになった。
聴く力と読む力がついてくると、どの教科も少しずつ成績が上がり出した。
つづく
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