【こころの話】承認欲求の行方と、自分自身を認めること②
さて、今日は「承認欲求で走ってきた先で、何も満たされなかった」という話の続きです。
▼前回の話はこちら
🌺承認欲求って何なのか?
では、承認欲求とは何なのか、という話なのですが。
他人からの「賞賛」や、「承認」、またそこまでの強い承認でなくても、「見てもらえる」「存在を認めてもらえる」ことかなぁと思います。
努力して何らかの結果を出したら、その成果を基に、こういった賞賛や存在価値を認めてもらえることがあったのかもしれない。
求めている意識はなかったのだけれど、「しっかりしているね」「ちゃんとしてるね」とか、「すごいね」「頑張ったね」「よくやっているね」がもらえなかったら、頑張れなかった気もする。
でも、結局それは「私自身の存在についての承認ではなかったから、満たされなかった」ということかもしれません。
🌺それは他の人から与えられるものではない
もしかしたら、親友とかパートナーとか家族とか。継続的に自分を見てくれる人がいて、認めるような声を掛けてくれれば、こういう欲求は満たされるのかもしれない。(それも難しい気もするけれど)
でもそもそも実は、自分自身が自分の存在や努力を認めてこなかったのだなぁ。。と思う。
走り続けるばかりで、そのプロセスを自分が承認したことがない。
試しに「私今までよくやってきたね」と言ってみる。すると、自分にそんな声かけをしたのは初めてだということに気がつきました。
自分のやってきたことや地道な努力は、自分しかいつも見てはいないのに。
変な焦燥感の理由はこれかもしれません。
自分が、自分の行動を、こまめに認めていくこと。
これをやっていきたいです。
ここまでお読みいただきまして、どうもありがとうございました。
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