読書感想文 『美しいノイズ』

たくま

きっかけ

プロダクト領域の人間ではあるのだが、建築に興味を持って、建築が好きになってから、谷尻誠さんのことをちょいちょい色んなメディアで見知るようになった。

その中で、チャレンジャーたる姿勢、考えまくる姿勢、美しさを追求する姿勢に惹かれて数冊本を読ませて頂いた。


『はじめて考えるときのように』も読んだ。


この『美しいノイズ』出版時には、谷尻さんの instagram でよくストーリーズに投稿が引用されていて、いつか必ず読もうと思っていた。

そもそも装丁が規格外すぎて、モノとして手に入れたいという衝動も同時に感じたことを覚えている。


最近は比較的実務寄りの本を多く読んでいて、読書に対してやや停滞感を感じていたため、余白・振れ幅・衝動を求めてこの本を読んでみようと決めた。




気づき


美しいについて考えていくと、自然というキーワードにたどり着いた。

谷尻さんの言葉

非常に僭越ながら、僕自身も同じ考えに至ったことがあったので、共感してくれる人がいて嬉しいという感情と、僕の後ろ盾となる人が現れて嬉しいという、勝手な気持ちを抱いて興奮した。

ただ、”なぜ自然は美しいのか” の解釈が最初の僕のそれと異なっている点が興味深いと感じた。

谷尻さんは、自然は移ろいゆく、というところにフォーカスを合わせて、常に変化する、未完成であることが美しさを醸すと論じていた、と僕は解釈している。

確かに、革製品がだんだん身体になじんで来る姿は美しい。
だが、僕のはじめの解釈は違った。

自然というのは太古から人間という生物と共にあったものであり、見慣れているものでありながら、長い年月自然淘汰というデザインの受け続けて尚存在している。

青空は明るく回りが見えやすく、外に出ても危険が少ないから、青空の青には安全を感じる。

また、木の伸び方なんかも、生き延びやすい伸び方があって今まで生き延びているため合理的な形をしているといえる。

そんなところから、自然というのは、おのずとしかる、の通り存在している理由がある。

その合理性、間違いなさ、を人間は美しく思うのかもしれない、と考えたりしている。


本気でやるなら私たちも本気で努力します。でも正直言って、めちゃくちゃ面倒で大変ですよ。

吉田愛さんの言葉

”本気でやるなら” というのが自分に問われている気がした。

仕事だからといって、全員がすべてが本気で向き合っているとは限らない、ということも示唆しているとも感じた。

確かに、本気でやるとなると精神力が必要で、これは経験的に理解できる。

仕事上求められているラインをクリアする、という意識であれば何も本気ではなくてもそれは達成可能であるが、自分が真に納得して仕事をするためにはその本気は必要になる。

この本気を少し諦めていたかもしれない、と自分は思った。

コストが、納期が、時間が、手間が、あの人が、などなどネガティブを挙げれば本気を出さない理由は沢山できてくる。

それでも納得できる人生なのであれば、問題ないが、僕はそうではない。

そうでありたくない。

この本を読んで、いま一度、自分の納得する製品を作るために、理想を描き、それを達成するために何ができるか、を考えるギアが入った。

そういう意味で、この読書の体験は自分にとってとても大切なものになった。


執念なき者は問題点を指摘し、執念ある者は可能性を議論する。

執念、とても抽象的で精神的な世界の言葉。

どうだろう、僕は問題点を指摘することで、気持ちよくなっていた瞬間があるんじゃないかと気づいた。

問題点を指摘するだけでは、アイデアは削がれ痩せ細っていく。

その姿を自分が見続けられるか否か、が執念を持つかどうか、を分ける気がした。

執念、というとしがみつくような、諦めの悪い姿を想像する。

自分がそういう、一見加工悪い姿に見られることを恐れていたように思う。

ある程度経験を重ねた中堅で、節操のある感じを醸し出そうとしていたことをめちゃくちゃ恥じる。

恥というのは、誰かに対してではなく、自分に対してだ。

もう一度自分を取り戻し、格好悪くても、格好良いものを作りたい。

自分の一時的な評価や人間関係なんてものは、クソみたいなプロダクトを売りつけられる多くのユーザーの人生に比べたらマシなものだ。



やること


自分が納得できるものしか作らない。

納得する姿を作るには、いろんな意味で面倒で、常にブレーキを掛ける存在がいる。

その道を選んだとしても、達成したいことを絶対に離さない執念を持って生きていく。

しんどくなったらこの本を読もう。

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