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ピンチをアドリブで乗り越える技 45/100(自己認知)

自問自答を繰り返しながら、
アドリブと演技の関係を
追求していってみようと思い立ちました。
100回(?!)連載にて、お送りします。


仕事の仮面

仕事の時のあなたと、家庭内でのあなた、

同じ人格を持っているでしょうか?

ピンチに陥った時、その人格には何が起きますか?

人格とまで言わずとも、相手によってキャラを変えるようなことは、しますか?

それって、「八方美人」的で、あまり良くないことなのでしょうか?

小説家の平野啓一郎氏は『分人主義』を唱えています。

中心に一つだけ「本当の自分」を認めるのではなく、それら複数の人格すべてを「本当の自分」だと捉えます。この考え方を「分人主義」と呼びます。

https://dividualism.k-hirano.com/

とおっしゃっています。

大人として社会を生き抜く中で、私たちは複数の人格を持っている、という明確な分析と見識は素晴らしいですし、その通りだと私も思います。

でも、

「本当の自分」は存在しないという主張には、個人的には、同意しかねます。

これには、役者としてそう考えざるを得ない、事情と言いますか、職業的必要性があります。

役者が、一つの役に没頭するあまりに、そこから抜け出せなくなってしまう、という話は皆さんも聞いたことがあるのではないでしょうか?

実は、これはアメリカのマイズナー系の役者の方々に多い事象です。

詳しい解説は省きますが、イギリスの演劇学校の出身者は、この落とし穴にハマる確率が低いです。

なぜだと思われますか?

演じている役に引っ張られ、文字通り「自分を見失う」ことのないように、イギリスの演劇学校で一番最初に行われる過程が、「自己認識」です。

自己を理解し、認識していることで初めて、自分以外の人物になるには、何をどうするべきかが分かる。

と、いうように考えます。

さらには、自己を認識していれば、どれだけ一つの役に没頭しても、帰ってくるべき己の姿が明確である。

と、いうメリットがあります。

演技という大海原に漕ぎ出していく、いや、放り込まれるにあたって、錨の役割をしてくれるのが、「自己認識」です。

「分人主義」に話を戻すと、私たちは複数の人格を持っていて、それら全てが自分であり、「本当の自分」という単一な人格は存在しない、と言われてしまうと、
役者としては錨を失うことに繋がってしまう、ということがお分かりいただけましたでしょうか?

さてその上で、じゃあ、

「本当の自分」とは何か?

という問いですが、これは、それ相応の時間を費やして冒険していかなくては、見つけられないものだと思います。

見つけてみたら、「本当の自分」は

表裏一体で、2つあるかもしれません。

もしかしたら、

自分でも、目を背けたくなるような、自分かもしれません。

それでも、それが自分自身であるということを認識し、愛してあげなくてはいけない。

と、私たちは教わります。

「本当の自分」とは、社会を生き抜く上で、そう易々とアクセスするものではありませんし、するべきでもありません。

半分冗談で、トイレで座っている時ぐらいしか、「本当の自分」を出していない、と私は言ったりするのですが、それぐらいに、遠い存在であり、大切に守らなくてはいけない存在でもあるのかもしれません。

「本当の自分」は≒「幼少期の自分」とも言えます。

成長し、社会に揉まれ、処世術を身につけることで養われていくのが、「分人」です。

日常生活での異なった複数の人格は、社会を生き抜く上で、避けては通れない、とても大事な、大人としての防具です。

この防具を身に纏わない状態というのは、あまりにもvulnerable、つまり脆弱で、打たれ弱いです。

そうです、この話、前にも出てきましたよね?



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