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ピンチをアドリブで乗り越える技 76/100(具合)

自問自答を繰り返しながら、
アドリブと演技の関係を
追求していってみようと思い立ちました。
100回(?!)連載にて、お送りします。


昨日は、撮影の一番最後に、最も精細な演技が求められる自分のアップを、撮らなくてはいけないという事態も生じるというお話をしました。

これって、針穴に糸を通すような、絶妙なさじ加減です。

私は、能舞台に立ち、面(オモテ)という仮面をつけた時の演技が、これに近いと思っています。

全集中です。

カメラのレンズの先には、ピンホールという、非常に小さな穴があり、そこにレンズを通して光を送り込むのですが、まさにこの、針穴のような小さな穴に、意識という糸を通すような演技です。

相手役に意識を集中させながらも、常にどこかでカメラの位置は把握していて、そちらにも意識を飛ばすように心がけます。

これも、イギリス的な演技かもしれません。

アメリカ的な演技は、120%その役に没頭し、周辺はシャットアウトする傾向にありますので、カメラの存在はそこまで意識していないようなイメージがあります。

そしてこの、シーンの一番最後に撮影しなくてはいけない自分のアップ、場合によっては、一日の最後に当たることも、しばしばあります。
様々なことに気を配り、集中力を消費してきた一日の最後に当たるわけです。

そんな時、もう疲労が溜まりすぎてどうしようもないかと思うと、意外とそうでもありません。

私は演劇学校に進学する前、イギリスの全寮制の高校で、演劇に没頭する3年間を過ごしたのですが、その中で忘れられない歌の授業がありました。

歌の授業は一対一の課外授業で、毎回担当の先生と授業スケジュールを合わせて行うのですが、ある時私は少し風邪気味で、この授業に臨みました。

一般的な授業とは違い、わざわざ先生の時間を取ってもらっているので、少しばかり体調が悪いからといって、欠席することは憚れました。

確かその頃、私は『ウェストサイド・ストーリー』の歌を練習していたのですが、その日は微熱があったのか、意識はボーッとしていて、喉の調子もあまり良くありませんでした。

それでも先生からは、この時の歌が一番よくできたと言われました。

簡単にいうと、身体が辛すぎて、余計なことを考えたりする余裕がなく、言われたことをその通り忠実に再現することだけで一杯一杯だったのです。

そんな状況での歌が、一番良かったそうです。

これは演技に置き換えても一緒です。

精神的にも肉体的にも疲労している時、そんな時こそ、余計なことまで手が回らないので、非常に高い集中力を発揮できることがあります。

また、体調不良から少し無防備になっているので、そこから生じる魅力というのもあるかと思います。(21/100参照)

まるで野生の動物のような、予想不可能な感じの魅力も、体調が良くないと自然と醸し出されるのではないでしょうか?

ピンチに陥った時、あなたの体調は万全とは限りません。

それでも最高のパフォーマンスを行ってこのピンチを抜け出さなくてはいけないと思うと、プレッシャーに感じると思います。

そう感じる必要はありません。

そういう時にこそ本質的な、自分の『己』(核の部分)が出てくるのかもしれませんね。

言い換えれば、即興術の中で、自分の余計な脳内フィルターを取り除く訓練を行うが如く、体調の悪い時っていうのは、フィルターをかける余力すらなく、素の自分が出やすいように思います。



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