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ジェラシーってなんだろう

こんにちは、Beatsです

私たちは感情を音楽を通じて分かちあう
ソーシャルミュージックアプリBeatsというサービスを作っています。

このノートでは
僕たちのサービスのことを知ってもらう
というよりは、このサービスの根幹として提供したい
自分の体験を見つめて内省する、という活動を
僕たちがより深めていくために
自分達の恥を”書き捨て”昇華していくようなことができたらと思っています。

ジェラシーってなんだろう

嫉妬 [しっと] ジェラシー

やきもち。
他人が自分より恵まれていたり、すぐれていることに対して、うらやみねたむこと。
 「兄弟分の出世に―する」
自分の愛する者の愛情が他に向くのを恨み憎むこと。
 「愛人が妻に―する」

Oxford Languages

喜怒哀楽、日々いろんなことを感じますが、
そんな中でも嫉妬は、
少し距離をおいて生きていたいなと思う感情の一つです。

最近ありがたいことに、ジェラシーとは無縁な生活をしていました。

仕事にも生活にも余裕があって、
身の回りで結婚や昇進、独立、子供ができた話を聞けば
心から幸せな気持ちになるし、
それはそれとして自分にとっていまが満ち足りている

そんな毎日を送っているつもりでいました。

久しぶりのジェラシー体験

先日ふと、Facebookを開くと
高校時代の知人の居住地がシンガポールに変更になった
というポストが流れてきました。

(ついでに書き添えると
「もう働き始めてま〜す」という
ちょっとイラッとさせる一言が添えられていました。)

それを見た僕の手は自然と
彼のプロフィール、
そして勤務先を表示させていました。

勤務先から年収を調べようとしたところで
恥ずかしくなって端末を置きました。

きっと情けない顔をしていたと思います。
多分これはジェラシーというやつです。


彼について

知人の彼とは高校の部活が一緒でした。
書き口から滲み出るように僕は彼が苦手でした。

高校のサッカー部は100人くらいの規模で
ABC3チームにわかれ毎日その格付けが発表されました。
毎日朝から誰もいない校庭でボールを蹴って、
走り込みや体幹も欠かさず、
基礎技術の練習量は人一倍やっているつもりでした。

しかしトップチームどころか、
Bチームにもろくに上がったことはありません。
彼もトップではなかったけれど、
常に僕よりは上のチームにいたように記憶しています。

僕はそんな彼の、練習してるのにその程度なのか、
というバカにしたような接し方が苦手でした。
いま思うと彼もそうやって
なんとか自分のプライドを保っていたのかもしれません。
そういう僕も実はそんな風に誰かと比較して、
自分の不甲斐なさを慰めていたような気もします。

僕たちの学年は後輩がとにかく優秀で、
最後の大会で先発に入れる人数は半分に満たず、
またそのメンバーも入学当初からトップに居続けたわけではなく、
挫折をしながら這い上がってきたメンバーたちでした。
同級生の半分以上は
観客席から最後の大会の敗戦を見届けました。

僕にとって高校サッカーは高校生活の全てだったし、
それだけに普段は封印していますが、
苦い苦い思い出です。


その日の出来事

その日、夢の中で
僕は高校生のサッカー少年になっていました。
いまは2年生。優秀な後輩や尊敬できる先輩がいて
壁が厚く今は試合には出れていないけれど、
代が変われば順当に試合に出れるはず
そんな希望を抱きながら練習に明け暮れている
キラキラした夢でした。

不思議なことに後輩は本当の後輩たちでしたが、チームメイトの同級生や
先輩たちは実物とは異なる架空のあったこともない人たちでした。

すごく気持ちのいい夢でしたが、
その分だけ起きてからの恥ずかしさも一入で

珍しく娘がおしっこで濡らした布団を洗いながら、
全く自分もおねしょをした気分でした。

Digってみる

なぜ僕はこんな行動に出たのか、
自分の感情をDig(深ぼ)って行きたいと思います。

多分この時、止まらずに調べ続けていたら、
その会社の平均年収、その会社の仕事量はどうか
いま彼女はいるのか、それはどんな人か
などと調べ始めていたでしょう。

普段そんなことはあまり気にするタイプではなく
マイペースにちょうどいい匙加減を追い求めたい
と考えています。

しかし一方で、彼の素性として調べようとしていたことは
例えば男子高校生が、
人のランク付けをする時のような
普段聞いたら苦笑いしてしまうような内容です。

勝ち負けをつけて、
結果自分が優っている、と結論づけたい。
そんな魂胆が透けて見えてきます。

この気持ちはどこから生まれているのか

彼に対する苦手意識もありますが、
それだけでなく、その根底には高校時代に対する
僕自身の未練が卒業から10年も経っているのに、
いまだに澱のように残っているということなのかもしれません。

あれから数日経ち、いまは冷静に振り返っていますが、
この気持ちはきっと瞬間的に
僕の中でまたふっと湧き出てくるのではないか。

ひょっこり出てくる高校生の
どうしようもなく傷ついた自分を
宥めて慰めることが次はできるだろうか。

いまの匙加減が気に入ってるんだろう?
それでいいじゃん、と笑えるようになっていたらいいな

おしまい


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