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『なぜかはわかった』

then i know why
Charles Bukowski

3月の晴れた日に
カウボーイたちが真っ赤なピックアップトラックで
高速道路を走っている
美しい犬が(あるいは犬たちが)
トラックの荷台で首輪もなくよろめいている
オレはそのカウボーイたちについて考える、
やつらはどんな哲学を持ちどういうふうに生きているのか、
どんな崇高な感情がやつらを駆り立てるのか、
オレはやつらの姿をうかがおうと車を寄せる
最初に怯える犬に目をやり
次に無頓着な飼い主に目をやる、
オレは湧き上がってくる怒りに対して、
膨れ上がる怒りに対して何の準備もできていない
オレは精神的な絶望を肉体的なものとして感じてしまう、
まるでハンマーで腹を、頭を、心を打たれるように、
そこでオレはなぜなのかを理解する
オレは工場で
バーで
パーティーで
大小を問わず知人たちとの集まりで
多くの問題を抱えてきた:
そこにあったのは腕、脚、頭、耳、目、
空っぽの部品が意味もなく縫い合わされているだけだ
やつらに何を言おうが
どれだけ非難しようが
まったくのムダだ
そんなことをしてもクソの山に弾丸を撃ち込むようなもんだ

車に轢かれて死んだあるいは死につつある2匹の動物が
高速道路の端に横たわるーー
人間だったらそんなふうに
太陽の下で事切れ腐り果てるまで置き去りにはしない
それはオレたち自身の弱々しい死が近づきつつあることを
あからさまにオレたちに気づかせる
だが葬儀の後には人間の深遠さがどうこうよりも
人間がいかに滑稽で茶番的なものであるかがわかるだけだ

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