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『人間には3つの死がある』らしい件

月曜日はキャリアについてあれこれと。

2日前の土曜日(ノンカテゴリーの日)に、三遊亭円楽師匠とアントニオ猪木氏の訃報に際して感じた事を書きました

その後、『笑点』を含めて幾つかの追悼特集を観ながら新たに思うところがありましたので、キャリア論に寄せて書いてみます。

関連記事を読んでいて、気になる言葉を見つけました。
『人間には3つの死がある』

そこに紹介されていたのは、
一つ目が、社会的な死
二つ目が、人間的な死
三つ目が、生物的な死

社会的な死とは、例えば会社勤めを定年で終えて、その後、好んでか或いはやむなく、社会との関わりを断つ事。
昭和の時代は、部長職のまま定年を迎えてその後は悠々自適の年金生活というパターンもありましたが、得てしてその隠居生活で社会との繋がりが持てなくなる方も多くいらっしゃいました。
現代では、役職定年制度で責任と権限を剥奪されたままで社会との繋がりを維持する期間があり、その『生殺し』の時期に当人がどう自身の尊厳を保ちながら社会と共栄するかが問われる時代でもあります。

人間的な死とは…
自身の意思で、自力で動いて、生きていく事ができなくなる事。
つまり、自立・自律できなくなる事。
では、不幸にも寝たきりや植物人間と化してしまった方は人間的ではないのか?という議論にもなりかねませんが…
私としては、他人の世話になるにしても、世話になっている自覚と感謝の念があるかどうかで、その線引きをしたいかなと思います。

そして生物的な死は、文字通り、パルスメーターがピーーとフラット音を伝えるその瞬間。
そこで何もかも終わりですね。

キャリア論界隈では、事あるごとに『人生100年時代』を引き合いに出して、平均寿命が80歳だ、女性はもうすぐ90歳だと盛り上がっています。
ただし、円楽師匠と言わず猪木氏と言わず、やはり大切なのは健康寿命。

先代圓楽師匠や歌丸師匠のように、口が思うように回らなくなって高座が辛くなり、『みっともない姿を見せるくらいなら』と引退するのも人生。
一方で円楽師匠は、歌丸師匠が亡くなった時に、『どうせなら司会をしながら死んでくれたら、ジジイほんとに死にやがったよ!とイジれたのに…』と泣いていましたし、自らも『みっともなくてもいいから、死ぬまでやらせてください』と言っていました。
これもまた、人生ですね。

人間は3つの死がある…
他にもいろいろな解釈があるようです。

① 心臓が止まった時
② 火葬・埋葬された時
③ 人々がその人の事を忘れてしまった時

③もまた、なかなか切ないものを感じます。

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